【インボイス】ついに始まるインボイス~今の建設業について知った~

ついにインボイスが始まりますね。

10月から始まりますが、実際にどうなんでしょうか。
巷では、増税につながるとか廃業が増えるとかいろいろ言われていますが、
やはりちょっと不安になりますね。

そんな時、税理士の方が建設業について解説してくれている動画がありました。
やはりプロの目線から見た解説はわかりやすいですね。
インボイスについては詳しく解説はされていませんが、建設業の今の状況から
インボイスが始まると建設業としてどうなっていくのか
という観点で、人の流れ、お金の流れから解説してくれていましたので、
皆さんに共有いたします。

どのような状況も見方を変えたらチャンスとなる可能性もあるので、
多面的に物事をとらえられるようになっていきたいです。

【必見】インボイスが導入したらどうなるのか。倒産が続くあの業界の現状も含めて財務のプロが詳しく教えます。

仕事に対する姿勢〜こう読んだネットニュースの記事から考えたこと〜

今日読んだネットニュースの記事で仕事に対していろいろ考えさせられたので
ここに書こうと思います。

<元記事>
「わざわざ来てやったのに!」と怒鳴る客、人気パン店が「来ないでください」と言い切ったワケ

この記事では、お店がお客を選ぶことも必要のような意味合いのことが書かれていました。
確かにそうだよなと思います。
昔はお店側、お客の間にお互いへの敬意のようなものがあったような気がしています。
その上で「お客様は神様」という言葉は生きてくると思っています。
前提があってのことですので、前提であるお互いに敬意を払っているという状態が
崩れているのであれば、お店側も対応をきちんとする必要が出てくるなと感じました。

ここまでは記事を読んでの感想ですが、ここから少し自分の仕事に置き換えて考えてみました。
僕はSEを生業としているのですが、僕の働く上で考えていることはお客様目線で役にたつこと、
喜んでもらうこと、自分目線で気持ちが前向きでいられることという3点です。
なので、僕の持っている技術をお客様に還元して利益を大きくし、喜んでもらう。
その上で自分の気持ちが前を向いて楽しく仕事をできるようにする。ということを
考えています。

自分の気持ちが前を向いて楽しく仕事をできるようにするということは、
嫌ならやめるということではなく、悪いところがあれば、前を向いて自分の仕事を
改善していくということです。
僕は、最善を尽くして仕事に取り組んでいますが、前を向けないときが必ずやってきます。
それはいろいろな理由がありますが、金銭問題だったり自分の能力とお客が求めている
能力の間に埋まらないほどの差があったり、改善のめどが立たなかったりなどです。
どうしても埋まらない部分って出てきてしまうのでそのときには潮時かなと思ったりもします。

ここまでは、僕の仕事のスタンスなのですが、この記事を読んで思ったことについては
僕のSEの仕事も同じような気がするということです。
無茶なことを言ってくるお客さんはやはりいるんですよね。
大体業務をシステム化するときって技術的に無理なことってなかなかないですし
その時は明確なのではっきりNOと言えます。
難しいのはグレーなときです。
技術的にはできるんだけど、時間とか要員とかの兼ね合いで要求通りの期間で
できないとかそういった場合。
そうなってくると時間かければできることを短納期で行なえなんて無理なことを言ってきたりします。
そういうときには、お断りすることも必要だよなと思ったりするんですよね。

これって記事にかかれていたことと通じる部分がある。と思った次第です。

皆さんはいかが感じますか。
あなたの仕事でも同じようなことはあるでしょうか。

では、今日はここまでとさせていただきます。
お読みいただきありがとうございます。

最近感じること~バランス・自然~

ずっと感じていることなんですが、自然でいることがとても大事なんだということ。
これは、自分が自然体であることもそうですが、生活とか食事とかそういったことも
自然の営みの中で行われるべきではないかということを感じているんです。

だから、病気を薬で治すとかワクチンで予防とかそういったことではなく
食事や生活習慣で免疫を強くして病気の予防をするとか自分自身と向き合って
生き方を考えるとかそういった自然に根差した生き方が大事なんじゃないかと
思っているんですよね。
極端な言い方をすると昔の生活に戻るのがいいのではないかと。
いろいろな情報に触れるたびに考えさせられるのです。

今日もそんな情報の一つに出会いましたので、ここで共有いたします。

日本の未来

食の事で言うと僕はお菓子を食べなくなりました。
年を取ったということもありますが、添加物や油の危険性などを知ってから
あまり食べなくなりました。
食べるときは、ある程度の覚悟をしてから食べます。
これは自己責任ということで食べています。

よほど何か口にしたいときは煎り玄米(もちろん無農薬栽培のものを使用します。)を作っているので、それを
少し食べます。顎も使いますし、より体にはいいかと思うんです。

今の生活はあまりにも不自然だと感じますし、世の中がそちらに誘導されていると
感じることが多くなりました。
これは、世にいう覚醒した状態とでもいうんでしょうか。
生活していてもどこか別の世界にいるようなそんな違和感を覚えるんですよね。

世の中の動き、政府の政策などを見てもより強く感じますし、
テレビや周りの人たちの動きを見ても本当にそう感じます。

ただ、非難や拒否や否定などをしているのではありません。
なぜなら、個人が考え良かれと思って動いていることを知っているからです。
そこに僕が関係することはできません。そこはその人の意思を尊重しなければいけないからです。
僕ができることはただ、違和感を感じ、分かる人には物事の本質と思えることを伝えるだけ。
それが伝わってその人が判断できればそれでよし。判断できなくてもそれはその人の
準備がまだできていなかっただけ。誰も悪くない。

そして、僕はずっと違和感の中で
生活を進めていく。

そんな感じに僕は生活しています。

あなたは、今の世の中に何を感じていますか。
ここにはなんらかの学ぶべきことがあると思っていて、
本当に何とか受け取らなければいけないことがあるんだろうと思っています。

あなたが成長につながる学びができることを祈りつつ
本日の記事を閉じたいと思います。

情報が来るタイミング~自分の成長度合いによる~

世の中の出来事って必然だと思いませんか。

僕は上記のような考え方を持っているので、本や情報についても僕のところに来た理由というのが
あると考えています。
なので、なぜ今この本、情報なのかということとそこから何かを得るべき?ということをよく考えます。

実は、僕のところに来た情報を受け取るも受け取らないも僕自身で決めることであり、
これは自己責任ということ。そして来た情報を咀嚼する能力も僕自身のため、
そこから何を受け取ることができるかも自分自身のことなのだということを意識している。

だからこそタイトルにも書いたけれども、自分自身の成長度合いによっては同じ情報でも
受け取れるものが違う。もしくは受け取る情報の量が違うということにつながるんだよね。

そうなってくると、受け取った情報を咀嚼するときは今自分の持っている能力で広げれるだけ広く視野を広げて
情報の咀嚼に挑むわけだけど、ここはやはり成長度合いに比例するわけだから、限界があると思っている。
では、どうするかというと後にもう一度その情報の咀嚼に挑戦することを行うわけです。
すると、その情報の形が違って見えれば僕はある程度成長したんだなということがわかるということです。

僕は今特に目に見えない世界「精神の世界」に視野を広げているので
そっちの視点をもって情報、物事を見るようにしています。

さて、みなさんも情報や物事についてなんでこの情報や物事が自分のところにやってきたのか
を考えてみるのもいいかもしれないですね。

「賢者の書」を読んで~成功者とは~

AmazonPrimeのサービスで本を読みましたので、共有したいと思います。

今日の本は、喜多川 泰さん著「賢者の書」です。
この本は、なかなか面白かったです。ベストセラーとなっているそうなので、読まれた方もいるのではないでしょうか。

賢者の書 Kindle版

人生において大切なことを小説の形をとって教えてくれている良書です。
僕は、とってもいい本だと思って一気に読んでしまいました。
第1~第9の賢者から教えを乞う形になっていて、それぞれのポイントがあります。
第1~第6まで読んだとき僕の中ではもう一歩、もうひとかけらそれぞれの話の中に何かあるのではないかと思っていました。
書かれた内容だけでもとても充実しているんですが、もう少し何かあるような気がしてまだそれが何かはわかっていません。

あくまで、これは今の僕の状態で読んだ時の感想ですので、皆さんが読まれた時にはそんな感覚もないかもしれないです。

第7の賢者の話は、興味深かったです。
東のオアシス、西のオアシスの例えがわかりやすく、世の中をうまく言い表せているなぁと思いました。dai

第8の賢者の話。
言葉について。洞察がとても面白い。言葉が人生を形作っているというお話。
これって気づいている人なかなかいないよな。と思うし知っていてもなかなか難しいことなんだよなとも思います。

僕はこの本を若い人にぜひ読んでもらいたいかなと思います。
そしてこの本を読む前に知っておいてほしいことは、世の中は、少なくとも2つの世界で構成されているということを
心において読んでみるといいかと思いました。
その2つの世界とは、このブログでもよく言いますが、物質の世界と精神の世界です。
一つは目に見える世界、一つは目に見えない世界。それが相互作用して世界が動いていると考えるといいかと。
そして、ここに書かれている内容は主に精神の世界での話ではないかと思うのです。
それがやがては物質の世界に影響が出てくる。

そんな感じの話ではないでしょうか。
気になった方は是非読んでみてください。

P.S.
今読んでいる本は、以下の3つです。
いつかこの本の紹介ができる日が来るといいなと思います。

・「漫画でわかるバフェットの投資術」
・「お金の授業」
・「ひとりビジネスの教科書」

知識を増やすとどうなるか

あなたは、知識を増やすということがどういうことにつながるかを知っているだろうか。
僕はこの感覚になるということを昔から知っていたはずなのだが、
より実感をもって知ったのがつい最近のことでした。

そこで今日は知識を増やすとどうなるかということについて話してみたいと思います。

知識を増やすとどうなるかということは多分あなたもご存じのことかとは思いますが、
今まで点として存在していたものが線で結びあわされていくといわれています。
あなたはこれを実感したことがあるでしょうか。
僕は、最近実感しています。

ニュースを見ること、ニュースの流れる仕組み、発信者の考え方、その影響ということを
考えたうえで様々なニュースを横断的に先入観なく眺めてみるとあることに気が付いていきます。
それは、今現在に起こっていることもそうですし、過去歴史の中に起こった出来事でもそうです。

特に、起こった事象・出来事、その裏で動いている人の心・考え方、お金の動きを考えると
いろいろな出来事が線で結びあわされて何かが見えてくる時があります。
この視点はなかなか得難いもので、先入観や今まで自分が学んできたことなどによって
見えてくる線というのは変わります。
しかし、その線はどれが正しいというものではなく、どれもが正しいといえると思うんです。
ただ、本質に近いものは数が限られていると思うので、そこに如何にたどり着くかということが
難しく、様々な思考・考えをめぐらさなければ得られるものではありません。

また、一つのニュースからも様々な角度で見ることによってニュースの全体像が見える
ということもあります。

知識を増やすということはまさにこのような視点を持つことができるようにする
一つの方法であり、点を線にさらには面にするという働きがあります。

そうすることにより、今生きているこの時代がどのように動いているのか
どこに向かっていこうとしているのかそしてその中をどう生きていくのか
を決める一つの指針を得られるようになってくると考えるのです。

なので、できるだけ知識をえられるようにしたほうがいいなぁと僕は感じています。

そして知識を得るということの先にさらには、このブログでもよく書いている通り
見えない世界の事に思いをはせてそこから得られるもので人生をよくしていくことが
できるのではないかと思っているのです。

もちろん、知識がなくとも見えない世界を意識して生きることは大きな益があると
僕は考えています。

あなたはどう考えますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

日本に生まれてよかったかどうか

あなたは日本の人ですか。
日本の人であれば、日本に生まれてどう感じますか。
日本人であることに誇りって持っているでしょうか。

僕は、日本に生まれてよかったと思っている一人です。
そして、日本に誇りを持っています。
ただ、日本の政治についてはなんとなく思うところもありますが。

さて、今日は僕が誇りに思う日本について考えてみたいと思います。
ネットでもテレビでも日本について様々なことが言われていますよね。
第2次大戦においてのこともいろいろなことが言われています。
まったく真逆のことが語られていたりしていますねぇ。
どちらを信じるとかっていうことはないのですが、日本は敗戦国だから
情報という部分でかなりやられている部分があるのではないかと思います。

それが真逆の情報が出てくる理由です。
そして、そこはあまり重要ではない部分だと思っています。
多分、どちらもある意味本当の事であると思うからです。
どうしてそう言えるかというと物事を見る立場が違えば
まったく逆の見方ができることは当然だからです。

重要なことは第2次大戦が行われた。そして日本が負けた。そこです。
その裏にある思惑はいろいろあるでしょうが、そこで何を受け取るかは個人の問題なのです。

多くの人は片方の情報によって物事を考えている節があることがちょっと残念に思いますが、
そこは僕が立ち入れるところではないので、致し方ないかなぁと思います。
さて、今日伝えたかったのはこのようなことではなく、
ある動画を見て、日本について海外の方がどのように思われているかということを知りました。
それを伝えたかったんです。

僕は、今までいろいろ日本の事、戦争のことなどを知るにつれ日本のいいところも
よく知るようになりました。もちろん悪い部分もあると思いますが、それは致し方ないこと。
しかし、この動画を見てやはり日本って素晴らしいんだということと日本人として
日本を誇りに思っていいんだということ。
そして、世界を変える力が僕たちにあるんだってことを知ってもらいたいなと思った次第です。

ぜひ、動画視聴してみてください。

レヴィー・ストロース の日本

自分と向き合うと変わるものの見方~自分は貴重な存在~

あなたは、自分という存在をどのように受け止めているだろうか。
本来のあなたは、とても貴重な存在で特別。それを知っていれば十分で、
つらいことがあれば、それを乗り越えるための助けもどこかに存在する。

それを理解して、なんとか生き抜くことを考える。それが大事だと思う。

人間だれしもつらいところを通ります。そんな時に上記のことを考えて行動できるといいなと
僕自身も思っています。

さて、今日は2つの事を書いてみたいと思います。
1つは、江頭2:50さんの伝説のスピーチ。これ夢を追う人もしくは多くの人に見てもらえたらいいなと思う内容です。
すでに、55万回の再生がされている動画なので知っている方もいるかもしれません。ぜひ視聴してみてください。
江頭さんのお人柄が出ている素晴らしいスピーチでした。
江頭2:50の伝説のスピーチ。代々木アニメーション学院入学式。

2つ目は僕の自分と向き合った経験です。ご興味があれば。

自分と向き合うというと内観とか瞑想とかよく言われますよね。
僕の実施したものはもしかしたら瞑想の一種かもしれません。
もともと僕は昔から自分と語り合うことが多かったように感じます。

会社から帰っているときによく自分と会話していたのですが、その時にどうにも自分の中から出てくる
考えがうるさく感じてきた時期がありました。
その考えが本質とは外れているという感じとうるさいという感じが強くあり、
それが本来の自分とは違う今まで生きてきた中で自分の中に構築された考えだと気づいたんです。
その考えを除外していくと本当の自分というものが何かがなんとなくわかった気がしました。
気がしているだけかもしれないんですけどね。

ただ、この日を境にして、他の人への理解がちょっとだけ深まったという気がします。

ちなみに、知識とかそういうものはいろいろ得ることはできるけど、
本質ということを知っているかどうかといえば、知らないというか
わからないということが基本になっているんですよね。
だから、分かった気がしているだけで実はわからないという不思議な感覚に
陥ったりしています。
わからないからこそ、いろいろなことが起こってもそうなるよねが言えるんですよね。

ちょっとした参考に本の紹介をします。
ジェームズアレンさんの書籍は4つほど読んでいますが、そのうちの一つ。
特に瞑想とか自分と向き合うことに特化して書かれていると感じるものです。
興味があれば手に取って読まれることをお勧めします。
※ ちなみにこのリンクから購入されても僕には何も益はありませんことお伝えしておきます。

あなたは運命を変えることができる ペーパーバック – 2014/3/24

本日はこれぐらいにしたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

このブログの参考になりそうな記事です。
価値のない人はいない ーだから自己価値を考えるー

今日の出来事~そんなに大した1日でないけど素晴らしいこと~

今日いろいろ考えました。

平日は仕事に追われ、今日も本当は仕事をしようと思っていたんだけど
できなかったんですよね。
いろいろあって。

ただ、その中にも考えることがたくさんあって。

そして、出かけるとことと言ったらスーパーぐらいなんだけど、
家では考え事や音楽を聴いたり、コーヒー豆を焙煎したりした。

それぞれはよかったんだけど、その中でもよかったこと。
それは、YouTubeで一つのMVを見たこと。
なかなか感動した。SEKAI NO OWARIのサザンカって曲なんです。
5年前に上がった動画らしいのですが、内容がとても良くて。
こんな小さなことだけど、感動できることって素晴らしいなぁと感じました。

音楽とビデオの内容がとても良い感じでしたので、リンク張っておきます。
SEKAI NO OWARI「サザンカ」

知ることができる情報とは

自分が知ることができる情報はどんなものか。

僕が小説から受けた考え方がすっかり僕の中に根付いてしまっているので
結構偏ったものの見方かもしれないですが、今のこの時代だからこそもう一度ここに書いてみたいと思います。

情報を受けたときにその情報をどのように受け取るかは人ぞれぞれです。
なぜ、ひとそれぞれ受け取り方が違うかというと
今まで生きてきた中で常識や固定概念といったものができてきて
受け取り方が変わってきます。
人は面白いもので、兄弟でも情報の受け取り方が違ったり、
まったく赤の他人でも受け取り方が同じ人がいます。
いわゆるどのような視点で生きてきたかということが大事であり、
これが兄弟でも違う受け取り方、他人でも同じ受け取り方になる
所以でもあります。

情報にはもう一つ別の性格を持つものがあります。
それは、情報があまりにも飛躍しすぎていて受け取れない
もしくはパニックになってしまうというものです。
その情報に対する耐性というか受け取れる準備というか
そういったものがあるかどうかが重要になってきます。

この概念をもって書かれた小説が「サイバー戦争」というものです。
もうかなり古い本なので手に入らないかもしれませんね。

サイバー戦争〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション) 文庫 – 1998/7/1
サイバー戦争〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション) 文庫 – 1998/7/1

この本に登場する天才のグレーという人物は情報を教えるのにその人がその情報を受け取る準備ができているかを考える
人でした。
そこから「確かにそうかもな。」と納得したんです。
例えば、宇宙人が攻めてくるといったときに、信じる人と信じない人別れますよね。
宇宙人という存在の確かさを知っている人であればきっと信じるでしょうし、
宇宙人なんていないという考えの人であれば信じないでしょう。

人というものはそれだけ自分自身でも周りの状況でも考えを偏らせてしまう可能性がある生き物である
ということです。
これが僕の基本スタンスである「わからない」という概念です。
知ったつもりでも実は間違っていたなんてたくさんあることですし、
人の立場についてだってほとんどわからないわけです。
なぜ、怒っているのか、なぜ泣いているのかということはそれほど
単純な理由ではない可能性があるのに人は見ただけで決めつけてしまうこともある。
それだけ、危うい存在であるということを認識しておくと生き方がだいぶ変わってくるのではないか
と感じるのです。

そこで、記事のタイトルである「知ることができる情報とは」ですが、
それは自分で決めることができるのです。
自分が知りたいことは知ることができる。
都合よく受け取ることもできるし、本質に迫った受け取り方もできる。
それは、自分次第なのです。
固定概念を捨て、常識を捨て、本当のところどうなのかを考えてみる。

すると見えてくるものが違ってくるものです。
最初は信じがたいものになるかもしれません。
でも、そうやって見えた景色は他の人と違うからこそ本当のものに
近い可能性だってあるのです。

世の中の物事は、自分自身のことも含めて
いろいろなものをそぎ落としてそぎ落として最後に残ったものが
本当のものに近いのではないかと感じるときがあります。
玉ねぎのように幾層にも重なったものの下に本当のものがある気がして
そういう意味では世の中はとても楽しいものだと感じます。

そして情報を知るということはそれなりの覚悟がいります。
実はあまり意識していないかもしれませんが、情報を知る=責任が発生する
ということなのです。
それは、かなり覚悟を持っておかないといけない場合もあると思います。
誰にも言えず、墓までもっていかなければいけないものもあるでしょう。

実は、国のトップの人の見えている景色・入ってくる情報と僕たち一般の人たちが
見えている景色・入ってくる情報というのがとても大きく乖離しているなぁと
感じます。

世の中を見ていると総理大臣のことを悪く言う人もいます。
もちろん、いろいろ思うところはあるでしょう。
でも、もし同じ立ち位置で世の中を見たらもしかしたら
同情することになるかもしれません。
それだけ、僕たちには見えているものが違いすぎる可能性があるのです。

僕は、その違いを知ることはできません。
なぜなら、一般の人間だからです。どんなにあがいても情報は
入ってきません。
あくまでも一般人レベルの情報です。

こう考えてくると、知るということ知らないということどちらが良いかと考えますが、
自分や周りの人を守るのであれば情報は知っておくに越したことはないと
思っています。
これからはますます、情報を自分からとっていき自分で何が正しいかを考える力が
必要になってくると思います。
その中で自分の人生を納得をもって歩んでいくことが重要だと思えるのです。

皆さんはどのように感じますか。