人間とは自分本位な生き物と覚えたり~やはり自分も~

ニュースとか見ていて思うことがあり、記事に書こうかと思います。

まあ、タイトルにある通りなんですけど、実は自分が思っていることと反対の
ニュースに対面するとそれを避けたくなる。信じたくなくなるということが
自分の中で起きていることに最近気づいたんです。

いやぁ、なんとなく恥ずかしいというかなんというか。
自分の中ではいろいろな意見を聞いて判断したいと思っているんですけど、
ダメですねぇ。自分が正しいと思っている理論に寄って行ってしまう。

特に、片方の意見に疑惑を感じてしまっているとその疑惑が邪魔をするんですよ。

これってなんのことを言っているかといえば、ワクチンのことです。
僕は反対派ではありません。
ただ、状況を見るとどうしてもそのもの自体に信頼を置くことができないというだけのことで。
いわゆる人類史上でも初めてのタイプのものであり、まだ治験中のものであり、
長期的な影響度合いがわからないという事実があると思うんですよね。

いわゆる真ん中にある情報です。
この周りにマスコミの方や政府の方が言われているような情報がついていたり
はたまた反対する人の意見があったり。
どちらの側もデータを解釈して説明してくれたりといろいろな情報が
出てきているんですよね。

つまり、いい情報、悪い情報ともに同じぐらい出てきていて
結局どちらかわからない。
多分、メリット、デメリットもおんなじぐらいあるんだろうなと
感じるぐらいができる情報量ですよね。

個人的にわからないがゆえにいい情報を得ると疑う。
悪い情報が出るとほらやっぱりと思ってしまう。

自分って身勝手だなぁと思う次第です。

結局は、自分で決めることなのでどちらでもよいと思っていて
その時はどのようになっても自己責任として受け止めて生きていければいいかなぁ
と思っています。
この考え方が僕が考えている自分の人生を生きるということの一部であると
思うんですよね。
すべて自分が納得したうえで結果も受け入れる覚悟で行動するのが
大事なんですよね。

誰かほかの人に責任をって考えると変な方向に行ってしまうので
気を付けたほうがいいと思って生活しています。

さて、皆さんはいかが感じますか?

すべてのことには意味がある~今集まってきている情報~

僕は、すべてのことには何かしらの意味があると思っています。
なので、僕のところに来る情報も何らかの意味があるんだろうなと思って
見ているんですけど、一つ一つだとなかなか結び付かないものです。

今回は、今の状況で集まってきた情報をまとめてみると
今後どのような生き方がよいのかというヒントのようなものが見えてきたので
皆さんに共有したいと思います。

さて、今回は最初に情報をここに羅列してみたいと思います。
縄文時代の生活の真実がヤバイ!日本史に誇る○○がなかった歴史を徹底解説!
【ガイアの法則】日本の時代始まります!ロスチャイルド家が日本に注目する理由が凄すぎる【 都市伝説 日本 文明 】
サムシンググレート ~村上和雄さんが人類に伝えたかったメッセージ~/Something Great-Message that Kazuo Murakami
アナスタシア (響きわたるシベリア杉 シリーズ1)

僕は、今の状況については不安や恐怖などネガティブな感情を抱く人が多いのではないかと思えるのです。
実際に恐怖というものは人の判断などを狂わせたりしますので、実はあまり長い間持っていないほうがいい感情では
あると思うんですが、いったん恐怖をわきに置いておいて今の状況をじっくりかんげえてみますと、

どうですか。
何か見えてくるものがありますか。僕は、どうにもあおられてる感じがして違和感を感じてしまって
情報を入れるのもしんどくなってきました。

逆の情報として先ほど挙げたような縄文時代の話(戦争がなく平和だったとか)が上がってきたり、
日本の時代が始まるとか日本文化に興味があるような外国の人が多いとか言った情報や
日本の昔の生活は自然の中にあってどのようなものだったかとか
食糧危機に備えて家庭菜園をしたほうがいいなどといった話が入ってくるんです。

これを線で結ぶとどうなるのか。

まあ、この先日本文明が世界の中心になるかどうかはおいておいて
日本の昔の生活ぶりというものに注目していったほうがいいんだろうなぁ
という感じがしています。
縄文時代もそうですけど、実は江戸時代って260年続いた中で平和な時代だったんですよね。
江戸時代のシステムってエコシステムが非常に発達していて今よく言われている持続化できる
文化だったんじゃないかなと思えるんです。

技術をなくせとは言わないですけど、江戸時代を参考にエコシステムを
日本主体で進めていくってどうです。
なんか大きな夢で幸せな世界になりそうだなぁって一人で妄想してしまいました。

皆さんはいかがですか。

この混乱の時代をどう生きるか~あなたの人生~

おしゃれなカフェを紹介する動画を見ながら考えた空間のこと

僕は昔音響学に興味を持っていたことがあります。
音ですよね。音ってとても不思議です。

音を語るには、空間は避けて通れないものですね。
そんなことを思い出させてくれたのは、今回紹介する以下の動画と
コロナ禍中での衝立の問題。これって声聞こえにくいんですよねぇ。
何とかならんかなぁと思ったときに昔を思い出しました。

【2021年まとめ】空間オタクが興奮した東京オシャレカフェ8選/TOKYOCAFE BEST8/カフェ巡り/cafe/都内

ここで紹介されたカフェたちは東京都内みたいなので、そちらにお住まいの方は
行ってみたらいかがでしょうか。
結構素敵なカフェが紹介されてましたよ。

さて、音と空間については、遠くに離れていても近くで話している
ように聞こえるような空間作りというのは可能ではないかと思うんですよね。
科学を教える科学館などに行くとよくそんな展示がしてありました。
それは、ちょっと大きな装置のようなものですけど、
もっと手軽にできないかと考えてしまいました。

物の形で音を大きく聞こえさせるものといえば、実は100均でもあるんです。
ダイソーとかセリアとかに置いてありますが、これ結構いいなと
思ったことを記憶に新しいです。

ダイソーで売ってる、2種類の音が広がるスマホスタンドを試してみた!(比較レビュー)

これに似たようなものが衝立を立ててもできないかなと思ったんですけど、
なかなか難しいのかな。
飛沫を抑えながら音は明瞭に聞こえる簡単な方法を思案してみたい。

そんなことを動画を見ながら考えてました。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

最近ニュースを見て思う2極化の本当の意味

皆さん、いかがお過ごしですか?

最近もいろいろなニュースがありますね。
雨が降って河川が反乱したり、世界中で地震が多発したり。
今日お話したいことは、災害のニュースを見て感じたわけではなく
人が起こした事件のニュースを見て感じたことを書いてみたいと思います。

・同じ空間にいるのに別の次元の話に感じる
・結局2極化とはなにか
・これからどう生きていくか

これをテーマに話してみたいと思います。

1.同じ空間にいるのに別の次元の話に感じる
これは、昔からも感じることですね。
テレビで見ていてなんか別の世界の話のように感じることは
ありませんか。

僕も昔はテレビでやっているから別の世界のことのように感じていましたが、
最近ではいろいろ本を読んだり知識を得るに至って
テレビで報道されているからとかそういう意味ではなく
精神的な意味での2極化を意識するようになりました。

そのような観点で事件のニュースを見ると、
その事件が本当のことかなにか別のことを隠すための
フェイクなのかはわかりませんが、
本当の意味での別の世界での出来事のように思えてなりません。

これには、ある意味目に見えない世界のことを基準にしていえば
事実であると言えるのかなと思います。

2.結局2極化とはなにか
では、別の世界での出来事とはどのようなことなのか。
どういうことを基準として生きているかって言うことではないでしょうか。
自分のことだけを考えて生きる人と他人のことを考えて生きる人とではなかなか
混じり合うことは難しいのかなぁと感じるんですよね。

最近は8月ということもあり戦時中の話を聞きますが、
日本の中にも他人に思いを馳せて生きていた人もいれば
自分のことを考えて生きていた人もいるのだということを
教えられます。
どちらがいいと言う話ではありません。なぜなら
その人がどう生きるかの話なのでいい悪いはないからです。

その意味で2極化を考えるとたしかに2極化は存在するし
それぞれの世界で生きていると言われれば、なんとなく
納得されるのではないかなぁと思います。

3.これからどう生きていくか
以上を踏まえていろいろと考えていくに
生きていくことは、自分でどんな世界で生きていくかを
決めていくこと。そして自分の思った世界で生きていく
ことができるという事実を知ることができると思います。

ここに焦点を置くといろいろなことにも感謝することが
できるようになってくると思うんですよね。

皆さんはどのように感じますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

人生における視点の変化

このブログでは、人生について語ることが多いです。
それは僕が自分の人生を生きるということについて考察し
皆さんに共有しようという目的でこのブログを書いているからです。

さて、今日は人生における視点の変化ということについて
考えて見たいと思います。
しばらくお付き合いください。

生きているといろいろ考えますよね。何気なく考えていること
実はそれが視点につながると思うのです。
自分のことを振り返ってみると社会人に成りたてのときには
技術のことや収入のことを考えることが多かった気がします。
どうやって収入を増やすかとか新しい技術を見つけようとか
この2つの関係は結構密接で技術があるから給与を要求する
と考えることもあれば、お金無視してユーザに最高のものを
提供しようなんて考えたときもありました。

この場合、ステークホルダ(利害関係者)の関係次第で
考え方が変わりますよね。

で、このようなことを考えていると技術の情報は手に入るし
視点もそちらに向きますから目につきやすくなります。
お金については、会社と交渉したり、転職を考えたり
しますよね。
このような形で僕が成人に成りたての頃は視点、
所謂アンテナはそちらに向いていました。

しばらく働いて30歳を越える頃になると部下をあてがわれます。
その会社では他の会社に入り込んで仕事をすることが多く
部下とも離れ離れで別の仕事をすることが多いんです。
そんな時には部下の状況の確認をしなければと思い、
打ち合わせをするようになります。
すると、自分の仕事感から部下の本当にしたい仕事はなにか
を知りたくなり、キャリアパスとかそういった物を考えるように
なりました。

そもそも、社会人に成りたてのときにはその傾向が有りましたから
キャリアパスについて考え、勉強するようになります。
部下と話をしていても将来についてどうするかとか言ったことを
考えている人はあまり多くないのかもと思いましたので、
そこに視点を向けさせるような会話をして将来について考える
機会を与えるようにしていました。
仕事に追われるとそういったことを考える時間もありませんからね。

ということで、部下がついたことで視点がちょっと広がったんですよね。

今の自分と言えば、このようなことを通して一通り考えて味わい
次の段階にいってる気がします。
つまり、すべてを取っ払って自分の人生を生きるということを
考えるようになってきたので。
一度自分の中に深く潜り込んで何かを見つけ出し、戻ってきて
社会に還元する。
このようなイメージでしょうか。
自分の人生を生きるのは、とても楽であり、社会にも貢献できる
素晴らしい生き方だと思うんですよね。
ただ、自分の人生を生きるというとどういうことかって思ってしまう
のは、そのとおりですが、誤解を恐れずに一言で言えば、世の中の起きてくる
出来事や自分が行うことについて自分が納得して生きるということです。
納得するかどうかは自分しだいですからね。

そして、今僕が持っているアンテナ・思考の方向性などを使って
世の中を見るとすごくきな臭いです。
僕はクリスチャンですからお祈りしていますが、世の中が変わる
そんな雰囲気を感じています。
しかも大きく。

世の中の現状は、実は戦争に入っているに近しい状態と認識
しています。
今の時代の戦争は、情報戦が主な戦場だと思います。
だから意識しないとアンテナをはらないと何が起こっているか
わかりにくいのです。

これから先は皆さんに委ねますが、ネットを見ると
とてもざわついている気がしています。
だからこそ、状況を見守り、その備えをしておく必要があると
思います。

皆さんは、どんな視点で世の中を見ますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

生き方が表れてくる言葉遣い〜「で」と「が」の使い方〜

僕は自分の人生を生きることを目的として生活していますが、そのことを心に留めて生活していると様々なことを考えさせられます。昔は、「えっ」と思ったことも今ではそうだよなと思うこともしばしばです。そこで今日は、そんな言葉の中から「で」と「が」の使い方について教えられたというか自分の気持が表れているなぁと感じたので、あなたと共に考えてみたいと思います。

「しばしば」と「ときどき」
「しばしば」と「ときどき」についてちょっと疑問に思ったことがあります。これは、会社のストレスチェックの時に使われていたように記憶していますが、その時調べてもらった感じでは、しばしばのほうが頻度が高く、ときどきの方が頻度が少ないらしいということでした。
しかし、今回改めて調べてみたら、さほど違いはなさそうです。もしかしたら、ストレスチェックのときの項目も僕の記憶違いかもしれません。

参考URL
「ちょくちょく」「しばしば」「たびたび」の違い

言葉に宿る思い


何気なく使っている言葉ですが、その言葉に知らず知らずのうちに思いが宿っているとよく感じます。今回考える「で」「が」は本当に何気なく使ってしまう言葉だなぁと思い、更には自分の思考傾向(つまり考え方の癖)が表れていると感じたのです。
今回、これに気付かされたのは、前にも書かせて頂いた住んでる地域の小さな祭りにおいて、子供の友人のおじいさんから指摘を頂いたときです。このことは、昔は妻もよく言っていたことでその当時はそんなものなのかと思っていたのです。
しかし、いろいろ人生を重ねて学びが深くなっていくうちに結構重要なことかもと思えるようになりました。
そのため、今回ご指摘頂いたときにも心から納得し、感謝の言葉が心から表れてきました。

どのような言葉、文なのか


「〜でいいです」
あなたはこのようなフレーズをよく使いませんか。どのような場面で使うかと言えば、以下のような場面でよく使いがちです。

相手:お茶とジュースどちらがいい?
自分:お茶でいいや。

実は、これってお邪魔しているときなどは特に相手に失礼に当たりますし、お茶自体にも失礼にあたります。言われてみて当然ですよね。本当の指摘していただいたことはとても感謝です。このように書いてみて改めて失礼だなぁと感じます。特に紙に書いてみると失礼さ加減が半端なく感じますね。

生き方、考え方が現れる言葉


これって実は深層心理というかその人の生き方というかそのようなものを表していると感じたのです。
上記の例で「お茶でいい」とは「お茶でもジュースでもどちらでもいいけどどちらかといえばお茶」的なニュアンスがありませんか。実際にそうだと思うんです。これって僕の生き方を結構表している感じです。個人的にこれじゃなければいけないというものがそんなにありません。だから選択を迫られた時にどちらでもよいという発想が出てくるんです。
対して「お茶がいい」という言葉については、「お茶とジュース飲むならお茶がいい」とはっきりと自分を表現しています。その時飲むべきものがはっきりしています。

人の人生において大事なこと


人生は、選択の連続であるということはこのブログでもお話させていただいていますし、他の方でもそのように言われていることが多いですし、あなたも実感としてあるのではないでしょうか。
その一つ一つの選択が人生を作り上げていっています。そのため、ある時点で間違った選択をしてもその後の選択次第では取り返しがつくように人生は構成されていると思うのです。そこに如何に気づくことができるかということが大事だと思うのです。
ここでお話したシチュエーションは本当に小さな出来事です。しかし、バタフライ効果という理論があるとおり、小さな出来事も後々大きくなることが考えられます。
自分の人生を生きるならだいぶ楽になります。自分なりに納得しながら生きれるからです。だからこそ、この小さな出来事についても自分の人生を生きることを反映させて言葉を使ったほうがよいのです。

まだまだ小さい頃からの言葉遣いの癖とか考え方の癖とかが多く有りますが、今回のことに限らず、意識して生きていきたいと思います。

あなたはどのように感じますか。

思考バイアス〜正解に導く考え方〜

最近読んだ本の中(ビジネスモデル2.0図鑑※1)に思考バイアスという言葉がありました。
※1とてもはじめの方です。ページとしたら4ページ

恥ずかしながら、この言葉の意味がわからなかったので、検索してみたらとてもおもしろいページにたどり着きました。
参考:思考バイアス 解説1

このページを見て、「ああ」と納得したのですが、つまり正しい道があると思いこむこと。そして、
正しいと思ったことはなかなか変えることができないこと。と理解しました。もしかしたら間違っているかもしれませんが。
バイアスって僕の個人的なイメージですが、道すじみたいな感じなんですよね。それで納得した次第で。
バイアスの意味

そう考えると、上記ページ「思考バイアス 解説1」にかかれている内容は、今の韓国の状態も日本の状態ももしかしたら同じなのかもしれないと思った次第で。
最近の世界情勢をとても関心がある中でこれを読むと自分も思考バイアスがかからないように気を付けないといけないなぁと思った次第です。

さて、それでは、バイアスにかからないためにはどうするかを書いてみたいと思います。

正解はないと心得る


(1)他者との関係
実は、正解ってないということをご存知ですか。そう、正解はないんです。あるのは、他者と自分の2つだけ。でものの見方は3つ。
①発生した事象:起こったことに対する事実
②自分側からの見方
③他者側からの見方
もしかしたら次のものもあるかもしれません。
③’部外者からの見方

ここにこれを上げたのは、他者との関係では正解がないということです。自分の考えと他人との考えは全く同じであることはそんなに多くありません。大筋あっていたとしても必ずあっていない部分があるものです。これを理解すれば、正解はなくて限りなく正解に近いものがあるということが理解できるでしょう。

(2)自然法則など
今は正解であるとされていても来る将来の世界では間違いである可能性は否定できません。つまり、この点についても不確実なことなのかもしれないのです。この考えを持たなければ新しい発見はできません。
実は知っているという気持ちはとても危険なものなのです。

つまり、正解はないのだという気持ちがあれば、違う意見を受け入れる準備ができ、
どちらの意見が現状にマッチするかより正解に近づくのかを検討する段階に入ることが
できるのです。

ここまで読んでいただき自分のことを振り返ってみましょう。
あなたは、思考バイアスにかかってはいませんか。

さて、これから冒頭でお話したビジネスモデル2.0の本を読み始めようかと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生を生きる上で何が大事か〜現在、過去、未来〜

人生を生きる上で大事なことは様々ありますが、そのうちの一つが時間の概念です。あなたは、生きていく上で過去、現在、未来のどれが大事だと思いますか。どこの時間に重点をおけばよいでしょうか。
今回はこのことについて考えていきたいと思います。

人生における大事な時間


人生における時間の概念でざっくり認識で言えば、現在、過去、未来というものがあります。
今回考える上でこの3つの時間について考えていきたいと思います。
はじめに結論を言ってしまいますが、人生において大事な時間はこの3つの中では、現在が
1番大事です。今起こっていることが現実だからです。そして、今は過去の流れから来ていますし
今は未来へと続く流れです。この一つの流れの中に人はいるわけです。
当然と言えば当然ですよね。ただ、現在を生きている人がいるかといわれるとそうでない人も
いるような気がするんですよね。まあ、有り体に言ってしまえば、過去に囚われている人とか
未来に不安を感じている人なんかは、現在に生きていると言いにくいのではないでしょうか。
もちろん、悲しい出来事があって前に進めない人もいますから全てを否定するものではありません。
ただ、過去に囚われているのに気づいていない人や現状がなぜこうなっているのかわからない
と言った人にはここで言う話はよいかもしれません。そこで、以降では過去ということについて
また、未来ということについて考えていきたいと思います。特に、過去も未来も捉え方によっては
良くも悪くもなりますからしっておくにこしたことはありません。

過去の使い方


では、過去というものとどのように付き合えばよいかということについて考えていきたいと
思います。
過去というものは、今まで生きてきた足跡と言えますよね。その中でいいこともあれば悪いことも
ある。それが人生というものだからです。そして、過去を振り返るということは今を生きる上で
とても重要です。
自分の過去であっても国としての過去であっても有名な人の生き様でもなんであってもそこから
学ぶことができるのです。それが過去と付き合う良い方法です。
もし、過去を自分の成長のための学びとして捉えることができないとそこに囚われてしまって
前に進むことができなくなるという現実が待っています。その場合には、今を生きているのではなく
囚われた過去に生きていると言えるでしょう。
今を生きるためには、自分のその時の感情を乗り越えて過去の出来事を学びへと昇華して
自分を成長させることが大事です。

未来の使い方


対して、未来はどうかというと不安という感情が人間にはありますね。今後どうなっていくんだろうかとか。
実は、未来に対しては起こってもいないことを想像することによって起こる不安な気持ちが今を生きれなく
するのです。
不安なことを思えば次第にネガティブになっていきますから、自然と今を生きれなくなりますね。
未来のために備えをシなければいけないという気持ちも起こるでしょうし。
実は、その不安は自分次第。実際に起こっていないわけですからね。
では、今を生きるためには未来をどのように使うか。楽しいことを思い描くようにするのです。
将来こうなったら楽しいなとか。そうするとワクワクが心に起こってきますから、
自然とポジティブになり、やる気も出ます。すると今を生きれるようになるのです。
今を生きているわけですから自然と思ったとおりの未来に近づけるでしょう。

まとめ


つまり、人生で大事なことは今を生きるということです。そうして初めて人間は成長し
よりよい人生を謳歌していくことができます。
先程も書きましたがタイミングによっては、今を生きれないときがあっても良いと思うのです。
それを乗り越えて今を生きていけるようになれば。
そうなれば、その人は強くなりよりよい人生に向かっていけます。

この記事を書いた背景は、実は韓国との関係が悪化したからにほかなりません。
そのため、いろいろなことを学びました。戦争のことや慰安婦、徴用工(募集工)のことなど。
でも、結局その時に生きていなかったので、わからないことが本当に多いです。
報道機関も必ずどちらか寄りに記事を上げてきますから、書いた人の主観を取り除かなければ
事象としてもぼやけてしまいます。
そんな中、国としての韓国の姿を見て、人にも当てはまることが多いと思った次第です。

ただ、韓国の人すべてがそうだと思っていません。あくまで国としての韓国を
見た場合についてということです。

できれば、仲良くやっていけたらと思いますが、それにはそれぞれルールを
守らねばと思いつつ、情勢を見守っていますし、これからも見ておこうと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生の目的、生きる意味などを考えてみた結果

あなたは、人生の意味とか生きる意味とかを考えたことがありますか?僕はあります。実は小学生の頃から。
うちの家庭は、父と母がよく喧嘩をしていました。父がお金にだらしなかったためです。結局父と母は別の人生を歩むことになりました。それに関しては当時も今も父と母のことなので、それで良いと思っていますし、結果それでよかったと思います。自分の人生の中でも内省を行うことにも繋がりましたから。そして、内省をずっとし続けていくうちに、なんとなく人生の意味というものを感じてきました。
実はこれって人それぞれが見つけるものだと思うのですが、参考になるかもしれないと思って個々に書いてみることにしました。
個々に書かれている内容はあくまでも個人的な見解であり、人生の目的、生きる意味はそれぞれが自分で見出していくということが前提としていることを覚えておいてください。

人生の目的は

人生の目的については、色々考えました。子供の頃はやっぱりよくわからなかったです。そのため、死にたいと思ったこともしばしばです。ですが、そこを乗り越えて色々学び、ここまで来るとなんとなくわかって来たような気がします。人生の目的は…

人生を素晴らしいと感じること!

ここに至るまでには様々な出来事があると思います。辛いこと、悲しいこと、寂しいこと、腹立たしいこと、と同時に楽しいこと、嬉しいこと、幸せと感じることなど。そういったことを経験し、このことに気づきそれを胸に感謝をして生きていくこと。これが目的だと思ったのです。
だから、例えば死にたいと思ったとき、死ぬことを選択するぐらいならその状況から逃れることを考えてみてはどうかと思うのです。人生は素晴らしいはずなんです。だから素晴らしいと感じるところまで生きてみる。そのために自分の心が疲弊しすぎてしまい、生きていく元気がなくなるのであればその原因を取り除き、もう一度スタートを切ってみるということも一つの案ではないかと思うのです。

そこに至るまでのいろいろ

そこに至るまでにはいろいろなことがあります。それは、先程書いたとおりです。そして、目的に達するためにもう一つ重要なことは、自分の人生に責任を持つということ。これは、言い換えれば自分の人生を納得して送ること。そして身内も含めて他人に迷惑をかけずに生きていくことと言えます。
最近、悲しい出来事が多く起こってますよね。これって自分勝手な生き方をしていると思われがちですが、実は自分を大切にしていないということの現れではないかと思うのです。高齢者の自動車事故や虐待に関することって、自分自身を大切にしていないからと言えるような気がするのです。このように感じてしまうので、僕としては自分を大事にすることを声を大きくして主張したいのです。
もっとイメージすることができるようになり、もっと人との関わりも変わってくるし、行動も変わってくると思うのです。技術や行政の運用などで回避できる部分もあると思うのですが、いまの現状ではそちらと同時に個人でできる対策というものも大事なのではないでしょうか。

まとめ

自分を大切にすると必ず今までの自分の人生も振り返ることになります。その中でどれだけの人と関係を持ち、どれだけの人に助けられたか教えられたかを知ることになります。きっと関わった人全てから学ぶ機会を与えられているのに気づくと思います。その後、自分がどれだけ成長したかも感じられます。そこから出てくる感情は…

「感謝」

これに尽きます。様々な人に支えられ、助けられ成長させてもらえたのですから。不思議と自分を大切にすると他人に対しても大切にできるようになっていきます。その理由が、ここに書かれていることなのです。自分もいろいろな人に助けられたと知れば、自分も他の人に助けようと思うものです。そして素晴らしい人生に気づいていくのです。ここまでくるともうスパイラル効果で感謝と素晴らしい人生の積み上げが始まっていくのです。これは理想であり、実現できないことでしょうか。
僕は実現できるのではないかと思っています。自分と向き合い、自分を大切にし、自分の人生を振り返り、感謝なこと不快に思ったけど実は自分の成長の機会だったことなどを知るのは、可能です。毎日少しでも心鎮めて考えてみるだけでもだいぶ違うのではないでしょうか。
そこに至れば、解決できなかった問題も解決できる可能性があるのです。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読みいただきありがとうございました。