思い込みによる判断

本の紹介をしている金曜日ですが、今日は昔、父からもらった本「息子よ、君はどう生きるか」を紹介したいと思います。

わが息子よ、君はどう生きるか―父親が息子に贈る人生最大の教訓
わが息子よ、君はどう生きるか―父親が息子に贈る人生最大の教訓

この本は、父からもらったのですが、しばらく読んでいませんでした。なぜなら、父は結構だらしがなくて、人間としてもあまり尊敬できない人だったからです。
そんな本を最近手にとって見ました。

すると、結構良い本でもらった時に読んでいたらもう少し違っていたかもと思いました。

ここから、受けた教訓を列挙したいと思います。

・人の印象で進められたものを拒否することはもったいない。
 →試してみることは損にはならない。
・人にすすめる場合には自分がどのような人間として見られているかを意識する。
 →もし、人を良い方に向けたいのであれば、自分がしっかりすること。

あなたは、思い込みで損をしていませんか?

結果はどこから来るのか

ジェームス・アレンさんが書かれた「原因と結果の法則」という本があります。今月はこの本からお話を進めていきたいと思います。特に今日は、実際に現実に現れている様々な出来事があると思いますが、それを結果とするとその原因は何かという点について考えていきたいと思います。

<アジェンダ>
1.結果はどこからくる原因で現れてくるのか
2.結果の予測が不確実になる理由
3.まとめ

<内容>
1.結果はどこからくる原因で現れてくるのか
現実に現れる出来事は、ほぼ人が関係しているものになります。そのため、出来事の背景には人の思いが良くても悪くてもあるということを理解しなくてはいけません。
では、現実に現れてくる出来事を結果とすれば、どこに原因があるのかということが気になります。実はこの結果についてはそこに至るまでにいくつかのポイントがあり、それぞれを線で結び合わせると全体像が見えてくるのですが、一番近いポイントを原因の一つとするとそれは思いであると言えるのではないかと考えています。
出来事に関係した人の思いが、直接的な原因と考えられますが、もしこの原因を理解したいと考えた時には、その思いに至る傾向がなぜその人にできてしまったかということを考える必要が出てきます。その人はどのような思いで生きてきたのでしょうか?実はこれが「原因と結果の法則」に書かれている内容の一つになっているのです。

世の中は、人と人の繋がりで出来ています。そのため、人がどのような思いで生きてきたかによってコミュニケーションの質が変わってくるのです。それは、その人の雰囲気とか態度とかに現れますし、言葉にも現れます。そこで、人の背景を知らなければある出来事がトラブルになっていくことがあるのは事実ですし、避けようがないことなのかもしれません。

個人的に言えばやはり、結果というものは良い場合も悪い場合も人の思いでできており、それは常日頃どのような思いで過ごしているかに掛かって来る気がするのです。

2.結果の予測が不確実になる理由
結果が予測がつかないのは、往々にして人が関係している場合においてです。なぜならば、先ほど話したとおり、人には背景があっていろいろな状況で人の反応が変わるからにほかなりません。同じ出来事でもその時々で反応が変わるのも人の特性です。なぜなら、人には成長というものがあり、毎日が違うからでもありますし、人には感情があり、日によって心の状態が違うからです。
僕達が行っているコミュニケーションというものはこれだけいろいろな状況があり、リアルタイムで対応していかなければいけないのですから難しいのは当たり前ですね。でもなんとなく出来てしまえているというのも人間ですからそういう意味でも僕達は素晴らしい存在なのだということを理解したほうがいいかもしれません。
何は、ともあれ予測は難しいために、不確実になってしまうのですね。

3.まとめ
原因と結果は密接な関係があります。それに至るには僕達の日々の生活でどのように過ごすかにかかってくるということを今日は考えてみました。いかがでしたでしょうか?次回は、この話を受けて実際の出来事が起こる本筋の流れについて話してみたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

紅茶と珈琲の手軽さ

今日は紅茶と珈琲の手軽さについて考えてみたいと思います。

基本的に紅茶は、リーフティもティーバッグも同じ方法で抽出します。リーフティは茶葉を入れてお湯を注ぎます。ティーバッグも茶葉の入ったティーバッグを入れてお湯を注ぎます。ともに茶葉のジャンピング(お湯の中で対流すること)することによって紅茶の旨味が出るので、どちらも同じ考えで入れれば、紅茶の味が楽しめます。
また、顆粒の紅茶もあります。こちらは、糖分も含まれているため、甘い紅茶が飲めますね。入れてお湯に混ぜるだけです。

珈琲は豆から挽いたコーヒー粉にお湯を通すことによって珈琲の成分を抽出します。インスタントコーヒーは珈琲から作られた粉をお湯を注いで混ぜるだけで飲めます。

どちらが飲みやすいかは人それぞれですが、僕は最初紅茶にはまってから今珈琲の勉強をしていますから、どちらも好きです。ただ、紅茶のほうが時間に余裕がないと飲めない感じになってきています。

あなたは、どちらが好きですか?
ちなみに、歳を取るごとに糖分の入った飲み物が飲みにくくなりました。なぜなら、その甘みが体内をネバネバにしている感覚ができてしまったからです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

話す言葉によって変わる人生

人が使う言葉にはとても大きな力がある。そして、人が使っている言葉はその人のそれまでの人生を語りこれからの人生を垣間見させてくれる。言葉の力を理解し、自分の思いを変えることによって人生は大きく変わるということを最近学んだ。
これは、実は昔から本に書いてあることで、常々考えていたことだ。しかし、最近また、WEBでそのような記事を読んだことによりますますこの考えが身近に思えてきたのだ。
そこで、今日はそのことについて考えてみたい。

<アジェンダ>
1.言葉の持つ力
2.自分との会話 ーそれが自分を作り上げるー
3.学びの必要性 ー自分の心に与える食事ー
4.それでどう生きる?

<内容>
1.言葉の持つ力
言葉には本当に大きな力がある。それを感じることができる人とできない人がいるのは事実だ。なぜなら、言葉はあまりにも人間に密接に関係しており、近すぎて見えにくいからだ。
言葉を発すれば、周りの人に良くも悪くも影響する。その影響度合いもまちまちだが必ず影響を与える。そしてその言葉のちからはすぐ出るときもあれば、後々出てくることもある。だから余計にわかりにくい。これは、他人に対する影響を考えたものだが、実は身近な存在、自分という人間には一番強く影響を与えるのが言葉の特性だ。

2.自分との会話 ーそれが自分を作り上げるー
人は皆心の中で言葉を発している。常に。つまりそれは、自分の心がその言葉を聞いているということだ。口に出して発した言葉以外にも心で発している言葉も耳にしている。それがどういう意味かといえば、常に言葉のシャワーに晒されているということ。
であるとすれば、その言葉に強く影響を受けているということは自然に理解できるのではないだろうか。
この文を読んでいる今もあなたは、言葉を発し続けているに違いない。だから、自分の言葉が自分を作っているというのはあながち間違いではないと思っている。このように考えると、自分が常にどのような言葉を発しているかを意識することはすごく重要なことだと気付かされるだろう。そして、その言葉の質によって人の人生が変わってくるのだ。
だとしたら、あなたはどのような言葉を選んで人生を生きるだろうか?

3.学びの必要性 ー自分の心に与える食事ー
実際に生きていくためのスキルという意味での学びも大事なことであり、人生においてはずっと勉強し続けることは楽しいことであると思う。しかし、ある時期を過ぎるとそれだけではなく、心の学び、心への食事について意識が向いてくることがある。
それは、心に栄養を与えることによって思い、考えがより洗練されていくからであり、それにより使う言葉にも大きな違いが出てくるからだ。
体が欲するように食事を取るように心が欲するように学びをしてみてはどうだろうか?その学びは心に関するもの精神に関するもの考え方に関するものであればより深く学びを行うことができ、その学びが人生に与える影響は計り知れないものになるに違いない。

4.それでどう生きる?
ここまで読んできてどう感じられたであろうか?人生は自分次第であるが、その中には自分で自分の成長を促すこともできるし、更に進めばもっと範囲を広げて自分が関係している組織や人にまで成長を促すための行動をすることもできるようになってくる。
あなたは、どのように生きていきたいと思われるか。人生はあなたが思ったように生きていくことができるのだと強くお伝えしたい。答えを見つける必要はないが、自分の生き方を考えて生きるのはあなたにとってメリットが大いにあると感じる。

ここまで、読んでいただきありがとうございます。

価値のない人はいない ーだから自己価値を考えるー

あなたは自分の価値のことを考えたことがあるだろうか?世の中には価値のない人は一人もいません。
なぜなら、この世の中には一人として同じ人はいないということは、人はそれぞれ違いがあるので、価値もひとそれぞれ違い一人ひとりはとても大切な存在なのです。ただ、この話はあまりにも大きいために人間としてはその認識を持つことが難しく、そのために自分は価値がないのではないかと思ってしまう人が出てくるのです。その考え方は実は違うと僕は思います。
そこで、今日は、価値のない人はいないことをベースにしながら、自分の価値をどのように見つけていくのかということについて話してみたいと思います。

では、始めましょう。

<アジェンダ>
1.自分の価値とはどういったものか
2.今後の人生で活かすには
3.まとめ

<内容>

1.自分の価値とはどういったものか

自分の価値を知ろうとした時に参考になるのは、過去に生きてきた中で何をやってきたかということが需要です。そして何かするときに好きなこと嫌いなこととかも大事になってきます。実は、このあたりは、今ある本を読んでいろいろと感じるところがありますが、今は今までの学びの中からお伝えしたいと思います。
価値を見出すためには、自分の最終的な目標を考える必要があります。それは、ある本にも書かれていましたが、自分が死んだ時に周りにどのように言われたいかで知ることができるのです。
それを考えた時に、自分の人生の目標が決まり、次第に自分が何をしなければいけないのかがわかるようになります。
そこから自分というものがどのような価値を持っているかを知ることができるのです。
こう聞くとなかなか難しく感じるかもしれませんが、実はすごく単純なことで複雑に考える我々人間には難しく感じてしまうのです。そして、これは生きてきた中で心に様々なものが取り付いていて本当の自分と向き合うことが難しいということもできます。
だから、雑音を取り除き、心に張り付いている様々な柵をとったうえでないとなかなか辿りつけない部分でもあるのです。
人によっては、1年に1回自然の中で自分と向き合う時間を作る人もいます。それは、自分と向き合うことによって人生の目標、目的を明確にして、自分がどの位置にいるかを考える時間として持っているものです。
そこまでしてようやく本来の自分と向き合い、価値をしることができるようになります。

2.今後の人生で活かすには

自分の価値を知った後に今後の人生で活かすためには、どうすればよいかということですが、自分の人生に責任を持つことです。これは僕がライフワークとしていることですが、自分の人生を生きるということと同じことです。つまり、自分のする行動については、自分が責任を持って行動し、誰のせいにもしないことです。そうすることによって自分の価値を存分に発揮して人生をそして世の中を良い方向へと変えていくことができるのです。

3.まとめ

このように自分の価値を知り、自分の人生にどのように生かしていくかを考えると何でもできそうな気がしてきませんか。ぜひあなたにも自分の価値を知ってもらい、人生に役立ててもらいたいと思います。
本日は、自分の価値についてお話しました。次回は、価値を知ったうえで他の人と力を合わせて生きていく方法を考えてみたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

適材適所ー能力の最適配分ー

人には様々な能力があります。それにその人の性格などを理解するとその人が何を行えばプロジェクトとして最適なパフォーマンスを出すことができるかがなんとなくわかります。
それ故に、能力と性格を理解することはとても大事になります。

実は、この適材適所に配置するのは、マネージャとして責任を持って行う必要があると思うのです。
自分のプロジェクトに一旦入ったとすれば、そのプロジェクトを管理するのは自分です。
そこで、たとえプロジェクトで足りていないところが合ったとしても、そこに適した人でなければ
良いパフォーマンスを出すことはできません。
もし、プロジェクトに入れたのが自分であればなおさら自分でその責任を持ってどこに配置するかを
考えるのが本当ではないかと思います。

今まで働いてきた現場でもよくありましたが、仕事がなかなかうまくできない人がいた場合に周りも
上司もその人ができないことに焦点をおいてしまっていて、その人が何ができるかとか性格から考えて
この仕事を任せたらうまくできるのではないかということをあまり考えていないような気がします。
もしかしたら、今までに試行錯誤してきての最終的な評価が僕が見た態度だったのかもしれません。

だとしても、そうであれば本人と何度か話をしてどうするかを決めたほうがよいのではないか
と考えていました。
物事にはどうにか出来る時とできない時がありますから、なんともいえないのですけど。

少なくとも仕事ができない場合においてはその人が悪いとか周りが悪いとか言うつもりは
ありません。実は、その人にはもっと適した場所があり、もっとうまくできる場所があるのではないか
と思うのです。

限られた予算の中ですからキレイ事ばかりもいってられませんが、非難をすることよりも
良い所を探したほうがよいなぁと感じる今日このごろです。

あなたはどのように感じますか?

僕がドラえもんを見続けるわけ

今朝声優さんの交代のニュースを見ました。
27年に渡り続けられたクレヨンしんちゃんの矢島さんが降板するとのことでした。

そこで、僕が好きなアニメドラえもんを映画のみですが見続けている訳を考えてみました。
一つは、声優さんもその作品を作るグループの一部ということです。その作品自体は変わることはないと考えます。作品を中心として声が付けられ動きが付き、命の息吹が吹き込まれるのです。
僕は藤子不二雄先生特に藤本先生の作品がすごく好きです。それはドラえもんに限らず、大人向けの漫画も好きです。そんな中の一つのドラえもんも好きなのですが、そこに声がどのように付けられるかは作られる人たちにお任せして僕はそこから何を受け取れるかを考えるのです。
確かにわさびさんのドラえもん最初は違和感もありました。しかし、今日まで続けてこられたのは仕事以上の思いが合ったからだと思うのです。

声も作品のうちの一つ。受け入れられないのであれば見なければよい。
それが僕の信念ですが、僕としてはそこから何か受け取るものがあるのであれば見続ける。
それが僕の思いであり、ドラえもんを見続ける理由です。

毎年作られる映画ですが、作っていただいてとても感謝しており、楽しく見させていただいています。
中にはなかなか受け入れられないものもありますが、それでもやはりドラえもんが好きな僕は、
DVDを購入し、見ることにしているのです。

あなたが大事にしているものは何ですか?

君主論も使い方

「トライブ」という本を読んでいてとてもおもしろいことが書かれていたので、忘れないためにも記述しておきます。

君主論あなたは読んだことがありますか?内容は結構過激なものらしいです。僕も途中まで読みましたが、あまり記憶には残っていないのですが、「トライブ」の中にはそのように書かれていました。つまり、良いと思う人も淹れば悪いと思う人もいるということらしいです。君主論が出た当初は、受け入れられなかったとのことですが、理由はきっと君主論の考え方が全体というよりも個人という観点で見てしまったためではないかと思います。
君主論を書かれたマキャヴェッリさんは、政治家ですから全体を見ての記述だったのであろうと思います。その点読んでいた方たちは民衆であり、視点が違っていても致し方ないなぁと思うのです。これは現在でも雇用主と従業員の関係に似ています。やはり経営者は経営視点でつまり全体で物事を見ますが、従業員は別の視点でみます。これは自分が従業員であることからも理解できます。

では、君主論をどのように活用するべきかといえば、書かれている内容を組織として良い方向に持っていくように適用すると良いのではないかと思う。記述の中には厳しい施策を行うことも必要であると書かれている。それを私利私欲に基づき行ってしまえば、どんな良いことでも悪い方に向かっていってしまうのはよくわかる話です。包丁は武器にもなるし人を養う料理をすることもできるということと同じです。考え方などは使う人によって大きく効果が別れるのです。

「トライブ」の中では、全体を見て厳しい施策を打つことができるのもリーダーとして必要であると書かれていました。

まだ読めてない君主論ですが、このことにより今一度読んでみるのもよいかもと思いました。

2018年6月のテーマ

5月のテーマはいかがだったでしょうか?それぞれに感じることがあったと思います。6月は5月の内容も受けつつ、別の観点で考えを広げていきたいと思います。

1.月曜定期:自分の価値とは

自分の価値(ある本ではコアバリューと書いてありました)を実際に考えることにより更に自分の理解を深めていこうと思います。

2.木曜定期:原因と結果の本当の意味

5月の2つの要素の観点から「原因と結果の法則」(ジェームス・アレン著)の意味するところを考えてみたいと思います。

「原因」と「結果」の法則
「原因」と「結果」の法則

見える世界の隠された部分

先週は、見えない世界の力について考察しました。本日は見える世界にある隠されている部分について考えてみたいと思います。この部分については、世の中を見る上では重要かもしれませんが、個人の人生においての重要度という点では個人的にはあまり重要ではないと思っていることをお伝えしておきます。

<アジェンダ>
1.見える世界の中で隠されている部分
2.目的に沿った行動は人間の本質
3.まとめ

<内容>
1.見える世界の中で隠されている部分
見える世界でも一般の人が見えない部分が存在します。特に日本に在住している場合に世界で起こっていることが把握しにくいということがあるようです。それは、宗教観も違うこともありますが、巧みに隠されているのが事実ではないでしょうか?ある目的のために組織を建前に使ってというのは映画とかドラマでもよくある話ですがもしかしたら現実にもそのようなことをしている可能性は否定できません。
日本国内でも情報統制などと言って圧力をかけて報道の仕方を操作したりということはあります。この方法は昔から存在し、手段もいろいろです。人々を目的に向かわせる方法に至っては本当にいろいろな方法を取られてきていると感じます。唄やお伽話や教訓などは指導者が奥使う手ではないでしょうか?
このように目に見える世界でも隠れている部分が往々にしてあるのです。このことは、心に留めておくべきことだと思います。

2.目的に沿った行動は人間の本質
目的に沿って行動するのは人間が持っている能力の一つです。それを更に上手く使って人々にそれとさとられずに目的に向かわせる方法というものがあるのです。これが見える世界の力と言えるのではないかと思います。みんなの力を一つに合わせることによる目的の達成。これはかなり強力な力だと思います。
ここで、僕はあなたに一つの質問をしたいと思います。テレビってなんのためにあるんでしょうか?娯楽なんでしょうか?それって本当でしょうか?
個人的には僕の時間を取っていくものの一つにしか思えないのです。僕は起業家志向が強いので、いろいろなことをしたいと考えていて時間が足りません。テレビを見ているのが惜しいぐらいです。なので、基本的にテレビって見ないんですけど、見なくてもあまり困らないんですよね。僕の周りの人もあまりテレビを見ない人が多いです。最近ではそういう人も多くなってきているのかもしれません。であれば、本当にテレビってなんのためにあるのかなぁなんて考えてしまうのです。もしかしたら。。。

3.まとめ
さて、今日のお話と先週のお話を合わせると見えない世界の力と見える世界の力が合わさるとかなり大きな力になるなぁと感じるのではないでしょうか?このような観点で世の中を見ていくとなんとなく景色が今まで見ていたものと違って見えると思います。
あなたもぜひ別の視点で物事を見ることをおすすめします。

次回から、原因と結果の法則という本に関連して少し考察を進めてみたいと思います。