人生における視点の変化

このブログでは、人生について語ることが多いです。
それは僕が自分の人生を生きるということについて考察し
皆さんに共有しようという目的でこのブログを書いているからです。

さて、今日は人生における視点の変化ということについて
考えて見たいと思います。
しばらくお付き合いください。

生きているといろいろ考えますよね。何気なく考えていること
実はそれが視点につながると思うのです。
自分のことを振り返ってみると社会人に成りたてのときには
技術のことや収入のことを考えることが多かった気がします。
どうやって収入を増やすかとか新しい技術を見つけようとか
この2つの関係は結構密接で技術があるから給与を要求する
と考えることもあれば、お金無視してユーザに最高のものを
提供しようなんて考えたときもありました。

この場合、ステークホルダ(利害関係者)の関係次第で
考え方が変わりますよね。

で、このようなことを考えていると技術の情報は手に入るし
視点もそちらに向きますから目につきやすくなります。
お金については、会社と交渉したり、転職を考えたり
しますよね。
このような形で僕が成人に成りたての頃は視点、
所謂アンテナはそちらに向いていました。

しばらく働いて30歳を越える頃になると部下をあてがわれます。
その会社では他の会社に入り込んで仕事をすることが多く
部下とも離れ離れで別の仕事をすることが多いんです。
そんな時には部下の状況の確認をしなければと思い、
打ち合わせをするようになります。
すると、自分の仕事感から部下の本当にしたい仕事はなにか
を知りたくなり、キャリアパスとかそういった物を考えるように
なりました。

そもそも、社会人に成りたてのときにはその傾向が有りましたから
キャリアパスについて考え、勉強するようになります。
部下と話をしていても将来についてどうするかとか言ったことを
考えている人はあまり多くないのかもと思いましたので、
そこに視点を向けさせるような会話をして将来について考える
機会を与えるようにしていました。
仕事に追われるとそういったことを考える時間もありませんからね。

ということで、部下がついたことで視点がちょっと広がったんですよね。

今の自分と言えば、このようなことを通して一通り考えて味わい
次の段階にいってる気がします。
つまり、すべてを取っ払って自分の人生を生きるということを
考えるようになってきたので。
一度自分の中に深く潜り込んで何かを見つけ出し、戻ってきて
社会に還元する。
このようなイメージでしょうか。
自分の人生を生きるのは、とても楽であり、社会にも貢献できる
素晴らしい生き方だと思うんですよね。
ただ、自分の人生を生きるというとどういうことかって思ってしまう
のは、そのとおりですが、誤解を恐れずに一言で言えば、世の中の起きてくる
出来事や自分が行うことについて自分が納得して生きるということです。
納得するかどうかは自分しだいですからね。

そして、今僕が持っているアンテナ・思考の方向性などを使って
世の中を見るとすごくきな臭いです。
僕はクリスチャンですからお祈りしていますが、世の中が変わる
そんな雰囲気を感じています。
しかも大きく。

世の中の現状は、実は戦争に入っているに近しい状態と認識
しています。
今の時代の戦争は、情報戦が主な戦場だと思います。
だから意識しないとアンテナをはらないと何が起こっているか
わかりにくいのです。

これから先は皆さんに委ねますが、ネットを見ると
とてもざわついている気がしています。
だからこそ、状況を見守り、その備えをしておく必要があると
思います。

皆さんは、どんな視点で世の中を見ますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

お金について再考

お金について今一度考えてみたいと思います。

以前、お金をテーマにブログを定期的に書いてみようとしたことがあります。
それは、去年のことでなかなか書くことができませんでした。
結局そのままときが過ぎ今年に入ってしまったわけです。

びっくりですね。今年はコロナ一色で生活の仕方が去年とはすっかり様変わりしています。
仕事も在宅が多く、今も週2回の出社となっていてそれ以外は、自宅で仕事をしています。
そんな中なぜお金について書くことができなかったのだろうかと考えてみました。

まず、僕自身があまりお金というものに興味がない可能性があります。
もちろん、生きていく上でお金は必要ですからほしいことはほしいです。
でも、自分の中でお金って「自分の人生を生きる」ということを考えた時に
本質から少し離れている気がしているんです。

では、本質って何かってことになりますよね。
ここでいう本質というのは「自分の人生を生きる」上での本質。
それは、自分が納得して生きていく人生であり、そのような人生の中で
お金というものは本筋ではないと思っているのです。

お金が少なくても納得していれば別に問題になりません。
僕の中では、問題を解決に導くための考察を続けるということが
好きで、その場合にはとても多くの考えが浮かび、沈み、何回も繰り返し
考え、自分のものとなっていきます。
その意味でお金というものが問題になるのは、自分が納得していない場合
であり、解決に向かうためにはお金とそれに見合う価値を提供する
ということで解決できるのです。
そこからの広がりが自分の中で作ることができなかったことが
書き続けることができなかった原因と考えられます。

そして、今の時代お金をどう稼ぐかというよりもどのように生きていくか
を考える方がよりよいように感じるのです。
今の所まだ、お金を稼ぐことを考えていこうかとも思っていますが
それ以上にどのように社会に貢献できるかなぁということを考えて
みることも楽しいだろうし、広がりが出るだろうなぁ。と感じる今日この頃です。

そう、2年前の2018年に9ヶ月ほど連載で書いたように記事を書けるような気がするのです。
実際に書くかどうかはわからないですけど。

僕とお金のおつきあいはそんな感じになっているということです。
お金についてはまだ書きたいこと、書いたほうが良いことがあると思いますが、
いずれ書けるときが来たら書いてみようかと思います。

さて、あなたはお金とどのように付き合いますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。

声優という仕事

先日、グーニーズの35周年記念のブルーレイディスクを購入しました。

グーニーズ 日本語吹替音声追加収録版

そこで、昔テレビで放送された声優さんのものと今一般に販売されている吹替版のものの
両方見ることができましたので、その感想を述べたいと思います。

やはり、別の人が吹き替えをしたということでそれだけでも雰囲気は変わりますが、
翻訳なども少しづつ違い、その当時のものと感じ方が違いました。

まず、感じたのは翻訳なのか声優さんのイメージの作り方かはわかりませんが、
昔の物のほうが言葉遣いや語彙など全体的に優しい感じに思われました。
かと言って、一般に販売されているものが嫌というのではなく、本当に
どちらも楽しめるものになっています。

ここで改めて声優さんの仕事について考えさせられました。
アニメでも映画でも声を当てるということはかなり難しい作業だと思います。
そのキャラクターになりきるというか背景をイメージしながら
そのキャラが持っている個性を出していくという作業には難しさを
感じ、だからこそ職業としての声優というものが存在するのだと思います。
もちろん、声のイメージを整える監督のような方もいるでしょうが、
声優さんの資質に左右されるものが多いのも事実ではないだろうかと思うのです。

今回のこのブルーレイでは特に感じさせられました。
言葉の出し方でその人のイメージが変わります。
それを感じたのはグーニーズだけではなく、ドラえもんの声優さんが
交代したときにも感じましたし、最近も昔の作品と最近の作品を見比べて
同じように感じました。

昔がいいとか今がいいとかいうものではなく、その時代の背景を感じる
とても良い素材だと思うのです。
そして、声優さんの思いが乗っていると感じるのです。
僕は、どちらの作品も大好きなので声優さんがだれでも翻訳の仕方も
どちらも大きく外れているものでもなく、それぞれきちんと思いが継承されている
と考えられるので、どちらも好きですし、どちらも同じように視聴したいと
思います。

違う・違和感があるというのは、致し方ないことです。
それを受け入れるかどうかは自分次第。僕はどちらも同じように受け入れ
尊重し、作品を純粋に楽しみたいと思います。

皆さんはいかが感じられますか?
ここまでお読みいただきありがとうございます。

時間の使い方の重要性

今日は、時間の使い方について書いてみたいと思います。

最近は、世の中の動きが激しく感じられていて結構心が騒いだりすることが多くなってきています。
だからこそ、どういうことに時間を使うかということが重要になってくると思うのです。

なぜか。それは、時間の使い方によって今後の人生が変わってくるからです。
このことは多分今までの記事の中にも書かれている内容だと思います。
そして、僕が感じるほどに世の中はかなりの速度で動き出していて、刻一刻と違った状況に
なりつつあると思っているのです。

この動きの激しい中重要なことは、自分と向き合うこと。これに尽きます。
もちろん、不安なことが多い世の中です。先行きも今まで以上に不透明です。
だからこそ、余計に自分と向き合う時間をとることが大事になってくるのです。

世界情勢や周りがどうであろうとまず動かない確かに自分を構築することが
できれば、自分の人生を歩むことができるのです。
僕がテーマにしている「自分の人生を歩む」とはそのようなものです。

そのために、自分と向き合う時間を取ること。本当の自分とは何かをとことん
見つめること。それが大事であり、辛いことであり、楽しいことなんです。
実際、自分と向き合うと耳障りな考えが浮かび上がってきたりします。
その考えがどこから来たものかを追求することが大事です。

そして、自分と向き合うことに慣れて、本当の自分を見出すことができると
世の中のことも少しだけ見方が変わってきたりします。
なぜかといえば、少しだけ物事を見る枠組みが広くなるからです。
一般的に言えば視野が広がるかんじでしょうか。
テレビをとってもニュースやドラマが有りますが、その見方が変わります。
世の中の仕組みも少しわかります。

物事に必ず、理由が存在することそれがわかるようになるのです。
なぜなら、世の中は人の集まりで構成されているのですから
その中で起こってきている物事には誰かの思惑が入って来ているはずなのです。
それは、決してすぐわかるような近くの人の思惑ではなくもっととてつもなく
遠くの思惑だったりします。
そして、それが自分を生きる上ではそんなに大した問題ではないことも
わかるのです。

ここまで読まれた方は解ると思いますが、自分と向き合う時間を取ることによって
より幸せになれるということなのです。

自分の人生を生きる=幸せな人生を歩む

これが僕が人生に抱く思いなのです。
だから、どれだけ世の中が激しく動こうがあまり関係がなく
自分は心平安にした状態で人生を歩めるのです。

この段階に来たとき次に起こす行動は、自分の人生を歩んでいない人を
サポートすることです。
悩んでいる人落ち込んでいる人は多くいます。
その人たちの助けになれるように行動できるようになるのです。
そばにいるだけ、ちょっと手を出すだけ、そのような慎ましい
サポートができるようにあるのです。
なぜなら、自分というものを見出したなら、人はそれぞれで
自分を見出す必要があることがわかり、その状況から
脱するには自分で行わなければ行けないことがわかるようになるからです。

僕はこれらのことからこれからの人生において時間の使い方がより大事だと思う
に至ったのです。

いかがでしょうか。
少しでも何かの考えの足しに慣れたならうれしいです。

人生を危険に導く言葉

生きていく上で非常に重要な位置を占めているものの一つに言葉が有ります。
どのような言葉を使うかで人生が大きく変わります。
使っている言葉を聞けばその人がどのような考え方をしてどのような人生を歩むか
がわかるとも言われます。
そのように結構重要な言葉ですが、何気なく使っているのではないでしょうか。
今日は、ニュースから感じた普段使いそうな言葉で使うとちょっとやばいかも
って思う言葉についてお伝えしたいと思います。
この言葉は、裏には考え方も引きづっているところがありますから
根本的な部分のお話をできたらと思います。

<目次>
1.言葉の本質
2.良い人生と思えるために
3.まとめ

<内容>
1.言葉の本質
最近言葉について考えさせられることが多々あります。
僕はクリスチャンですから聖書を読みますが、ことばは神であったという一文が
ありますし、聖書では、神様が言葉で世の中を作ったという記述があります。
日本には、言霊というものがあり、言葉に意思が宿るというか言葉の力と
いうものを表現しています。
このようなことから、言葉には力があり、使い方によっては人生を
良くもできるし悪くもできるということが言えると思うのです。
また、自分と関係する人とのコミュニケーションとして使われることから
他の人の人生にも大きく影響を与えるものであることも理解できるのではないでしょうか。

先程も言霊というキーワードを上げましたが、言葉にどのような思いを載せるか
によって使う言葉は変わりますよね。
それによって自体が色々変わるものです。別の言い方してたら状況が変わっていただろう
と思われることもニュースを見ていると有りますよね。

つまり、言葉の使い方によって自分の人生も関わる人の人生も変わることが
予想されます。さて、ここまで考えると言葉を使うということにある程度の
責任が伴うような気がしてきませんか。

2.良い人生と思えるために
さて、ここまで辛抱強く読んでくださりありがとうございます。
タイトルの人生を危険に導く言葉とは、「この状況は〜のせいだ。」という言葉。
よく喧嘩とかでも使われるのではないでしょうか。また、経済的な困窮とか
そういった場合にもよく使われますよね。
こういった言葉の背景には、物事の責任を放棄しているという考え方があります。
つまりは、自分の人生を他の人に委ねている状況にほかならないんです。
この状況は、本当に危険ではないかなぁと思います。
自分も納得言ってないですし、そうであればどんどんストレスが溜まっていくでしょう。
となると体にも異常をきたしてきますよね。

良い人生と思えるためには自分が納得した人生を歩む必要があるのかな
と思うのですがどうでしょうか。
例えば、良い人生を上記のようなものだとすると起こってきた物事を他の人に委ねるのでは
なく、自分の責任として受け止めることだと思います。
そうすることによって自分の人生を自分で制御するという感覚が出てきますし、
その流れで「この状況は〜のせいだ」から脱却し、「この状況を打破するにはどうすればよいか」
という自分への問いかけ→行動になり、結果自分が嫌な状況から抜け出せる道に
つながると思うのです。

3.まとめ
ここで見てきたように言葉には力が有ります。この力はすぐに認識できないかも知れませんが
水が長い時間をかけて石を砕くように、後になってじわじわと効いてくる力だと思います。
もちろん、使い方によってはすぐに結果が出るかも知れません。
このことを理解して自分も自分以外の人も良い人生を送れるような言葉の選び方
言葉の使い方をしたいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
あなたの人生が良くなるようにお祈りしております。

取り柄のない人間なんていない

あなたは好きなアニメや映画ってありますか。その中には何かメッセージがあったりします。
僕が好きな映画の中でも子供の時からずっと見ているドラえもんから今日は教えられた
ことを共有したいと思います。

<目次>
1.どの映画から受けたメッセージか
2.数あるメッセージの中から一つ
3.まとめ

<内容>
1.どの映画から受けたメッセージか
ドラえもんってとても多くの映画が有りますよね。旧作(大山ドラえもん)で25作品、
新作(わさびどらえもん)で15作品(2020年夏公開作品含む)になります。
僕はどのどの作品も見ていて、それぞれに良さがあるのですが、今回は
「ひみつ道具ミュージアム」からのメッセージとなります。
本当は、この部分ってお伝えしたいのですが、ご自身で借りて見ていただきたいです。
55分辺りです。その前のくだりから色々考えさせられる流れです。

2.数あるメッセージの中から一つ「取り柄のない人間なんていない」
この作品には結構たくさんのメッセージが込められてます。
監督のインタビューの中にも色々語られていますが、
今回は「取り柄のない人間なんていない」をピックアップしてみました。

これに引っかかったのは、新作13作品目「のび太の宝島」でも
のび太くんが「僕にはなんの取り柄もない」と同じセリフを言っていたからです。
もちろん、「のび太の宝島」でもそのセリフに対する答えが示されてますし、
そんなストーリーですが、「ひみつ道具ミュージアム」のほうが説得力というか
その回答のちからがすごく強く感じたんです。

また、もう一つには芸能界に限らずですが、自死されるかたが多いことも挙げられます。
先日も僕が好きだった俳優さんがなくなられました。とても存在感が有り
芸能界には衝撃が走っていますし、そのニュースを見ただけでもいろいろな方と
関わりを持たれていた人だなぁと感じました。
人生に疲れて、絶望感に悩まされての結果なのかなぁと思います。
そこには立ち入ることを許さない何かがあるのですが、できれば
自死以外の選択をしてもらいたいなぁと思うのです。
なぜなら、自死の先にあるものが何かということがわからないからです。

「取り柄がない人間はいない」この言葉には、なんとしても生きる必要がある
そんなニュアンスを感じたんです。
自分を大切にシてもらいたいんですよね。自死するほど嫌なのであれば、
やめてしまえばいいのではないかと思うんです。
もちろん、辞めるときには正規の手順でという条件が尽きますが。
なんと言っても自分の人生、自分が納得して進む生き方をしてもらいたい。
僕は、このような報道を見るにつけ心が締め付けられるほど、
悲しくなってしまいます。
もっと身近な人ならもっとそうでしょうし、時間が止まってしまうでしょう。

そんな時に見てしまった映画の中からのメッセージ。
僕には大きく響いてしまいました。

3.まとめ
映画の中では、のび太くんが「取り柄がなくって」なんて言う言葉に
「そんなことはない。取り柄がない人間はいないんだ」とクルトくんが
返します。そしてクルトくんと師匠の話が出るのですが、
案外自分で取り柄ってわからないのかもしれませんね。

これを読んでいるあなたも他の人から見たら魅力がたっぷりなはず。
もし、「取り柄がない」とか「生きるのが辛い」と思ったら
一度立ち止まってみてぼっと考えてみるのもいいかもしれませんね。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

何を大事に行きていく必要があるのか

先日、堀江貴文さんの講演を聞きました。多分どこかの学校でお話した内容かと思うのですが、それを聞いて時間について書こうかと思い立ちました。
そして、書いてみて過去の投稿を見た時にすでに書いた内容でした。よっぽど心の中に思っていることなんだなぁと思いました。
しかし、ブログに書くには同じことを書いてもあまり意味がないなぁと思いましたので、この講演の中からもう一つピックアプして考察してみたいと思います。

グローバリズムと自分

この講演の中で堀江さんは、グローバリズムの一部について語っています。それを知るには情報が大切です。だからこそ堀江さんのように声だかに伝えてくれる人はとても重要で聞く必要はあると思います。
ここで大事なことは、グローバリズムだけではなく、自分のところに来た情報を色眼鏡をかけずに素直に情報と向き合うことと言えます。これは、誰の口を通して語られたものでも一旦自分の中で理解し自分の中で納得した上でどのような対応をするかを決めるということです。
偉い人が言っていたとしても、自分の感性に当てはまらなければそれを受け入れるべきではないと思いますし、後々同じことを言われたときには感性に当てはまって聞き入れることができるかもしれません。結局情報と向き合うタイミングというのは結構大事で自分の成長度合いと非常に密接に繋がっているのです。
だからこそ、情報以外のもの(例えば感情など)を削ぎ落とし、情報そのものの意味を吟味できる技術を身につける必要があるのです。これができるのであれば、グローバリズムの波が押し寄せ、グローバルにはこのようだけれども、自分の立場はこうであると強く言えるようになり、これが強みになっていくと思うのです。

自分の人生との関係

情報を仕入れた後、その情報をどのように自分の人生に取り入れるかは今後の人生を考えた上で非常に重要なことになります。講演で堀江さんが言われたように、アジアの富裕層はかなり多く1食5万の寿司屋でも繁盛すると言われています。
そのような富裕層の仲間入りするかどうかはあなた自身が決めることであり、グローバリズムの流れだからと追随する必要はありません。自分が追随するべきと思えばそのとおりにすればいいのです。
先程も書きましたが、自分の感性に従うこと。これが結構大事なのだと思うのです。

何が重要で大事なことか

重要なことは、自分がどのような人生を贈りたいかということであり、自分の人生を送ることであると考えます。それは、不平不満をつぶやかない人生、自分の行動、言葉に責任を持つ人生です。自分が納得することが大事です。そして、自分の人生を歩む上で必要なことはするべきであり、それは大事なことと言えるのではないかと思うのです。
そして、自分の人生を歩む上で大事なことは、今を生きるということ。これは過去の記事にも書きましたし、堀江さんも語られていますし、その他成功者と言われる人も言っていることです。

今日は、周りの状況を知ることは大事だがもっと大事なこともあるということをお話しました。
あなたはどのように感じましたか。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

言葉からイメージするもの〜人間拡張から成長に至るまで〜

どのような言葉にもそれぞれイメージするものはあると思います。先日イメージを刺激された言葉をニュースで見ましたので、そこからいろいろと考えてみましたので、ここでお話したいと思います。

目次
気になる言葉
物理的なことなのか精神的なことなのか
まとめ

気になる言葉

タイトルにも記述しましたが、人間拡張という言葉をネットで読みました。そのサイトはITmediaでしたので、もちろん、物理的に機械と融合して人間の機能を拡張するということを言われていました。
<参考>
人間拡張(Human Augmentation)を考える
実は、その言葉だけのイメージで考えていたので、機械と融合なんだろうなと思いながら、人間を拡張するのに機械の力が必要なのだろうかと素朴な疑問がわきました。

もちろん、上を目指すのは良いことですから、僕も成長をすることには大賛成です。ただ、どこを目指すかということになると少し考えなければいけない事柄に変わってきます。

物理的なことなのか精神的なことなのか

ちなみに、ここに来て何ですが、前述の記事は読んでませんからここに書かれる内容は完全に僕の個人的な意見として読んでくださいね。

そもそも、人間拡張する必要はどこにあるのかということだと思います。僕は個々人の成長が鍵なのではないかと思うのです。もし、物理的に人間拡張を行い、それによってその人が大きく成長できるのであれば、それは必要だと思いますし、拡張を行うことによって歩けなかった人が歩けることになるのであれば、それはそれで良いことだと思います。

では、成長という観点で見た時に、本当に物理的な人間拡張は必要かと言えばそうではないような気がするのです。成長に限らずですが、自分がある過去の時点から成長したかどうかを知るためには、その比較する時点の状態を把握する必要があります。
そして、これから成長しようとすれば、自分の状態を知ることから始まるのです。その時にもし物理的に困難なことがあり、それを解決すれば自分が大きく成長できるのだと判断すれば、その障害を物理的にでも解決すればよいのです。しかし、多くの場合物理的解決と精神的解決(所謂心の持ちようなど)の2つの選択肢が準備されていると感じるのです。
どちらを選ぶかはその人の生き様に関わってきますから、どちらが正しいわけでもありません。選んだほうが正しい道になっていくと僕は考えています。

過去を振り返って「あのとき別の選択をしていれば」ということは誰にでもあると思いますが、それはそれとして、現在がベストであると思うことがなんとなく次のステップや成長に繋がっていると感じます。

まとめ

このように考えてからふと「人間拡張」から離れていることに気が付きました。
つまり、人間拡張については言えば、アプローチがいろいろあってそのうちの一つが機械を使うことであり、一つのことが自分を見つめることであるということが言えるのではないでしょか。
どちらにも良い点悪い点はあるにしろ、概ねどちらのアプローチも選択を誤らなければ良い方向に進んでいくものであると思います。僕は、最近は精神的な霊的な方向に傾倒していますから、僕の選択はそちらが多くなります。それは僕という1個人の生き様であるので、それはそれでよいと思います。あなたはあなたの生き様でそれぞれの選択場面でいろいろな良いと思える選択をすればよいのです。
その時に気をつけたほうが良いのは、自分のみならず周りの人たちもハッピーな気持ちになるかどうかが判断のポイントの一つになってくるということを覚えておいたほうがよいです。このようなことは、結果としてすぐに出るわけではなくて後々じわじわと効いてきますから、最終的になぜそうなたのかということを思い返したとしてもわからないことが多いものです。

あなたはどのように感じましたか。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

生き方が表れてくる言葉遣い〜「で」と「が」の使い方〜

僕は自分の人生を生きることを目的として生活していますが、そのことを心に留めて生活していると様々なことを考えさせられます。昔は、「えっ」と思ったことも今ではそうだよなと思うこともしばしばです。そこで今日は、そんな言葉の中から「で」と「が」の使い方について教えられたというか自分の気持が表れているなぁと感じたので、あなたと共に考えてみたいと思います。

「しばしば」と「ときどき」
「しばしば」と「ときどき」についてちょっと疑問に思ったことがあります。これは、会社のストレスチェックの時に使われていたように記憶していますが、その時調べてもらった感じでは、しばしばのほうが頻度が高く、ときどきの方が頻度が少ないらしいということでした。
しかし、今回改めて調べてみたら、さほど違いはなさそうです。もしかしたら、ストレスチェックのときの項目も僕の記憶違いかもしれません。

参考URL
「ちょくちょく」「しばしば」「たびたび」の違い

言葉に宿る思い


何気なく使っている言葉ですが、その言葉に知らず知らずのうちに思いが宿っているとよく感じます。今回考える「で」「が」は本当に何気なく使ってしまう言葉だなぁと思い、更には自分の思考傾向(つまり考え方の癖)が表れていると感じたのです。
今回、これに気付かされたのは、前にも書かせて頂いた住んでる地域の小さな祭りにおいて、子供の友人のおじいさんから指摘を頂いたときです。このことは、昔は妻もよく言っていたことでその当時はそんなものなのかと思っていたのです。
しかし、いろいろ人生を重ねて学びが深くなっていくうちに結構重要なことかもと思えるようになりました。
そのため、今回ご指摘頂いたときにも心から納得し、感謝の言葉が心から表れてきました。

どのような言葉、文なのか


「〜でいいです」
あなたはこのようなフレーズをよく使いませんか。どのような場面で使うかと言えば、以下のような場面でよく使いがちです。

相手:お茶とジュースどちらがいい?
自分:お茶でいいや。

実は、これってお邪魔しているときなどは特に相手に失礼に当たりますし、お茶自体にも失礼にあたります。言われてみて当然ですよね。本当の指摘していただいたことはとても感謝です。このように書いてみて改めて失礼だなぁと感じます。特に紙に書いてみると失礼さ加減が半端なく感じますね。

生き方、考え方が現れる言葉


これって実は深層心理というかその人の生き方というかそのようなものを表していると感じたのです。
上記の例で「お茶でいい」とは「お茶でもジュースでもどちらでもいいけどどちらかといえばお茶」的なニュアンスがありませんか。実際にそうだと思うんです。これって僕の生き方を結構表している感じです。個人的にこれじゃなければいけないというものがそんなにありません。だから選択を迫られた時にどちらでもよいという発想が出てくるんです。
対して「お茶がいい」という言葉については、「お茶とジュース飲むならお茶がいい」とはっきりと自分を表現しています。その時飲むべきものがはっきりしています。

人の人生において大事なこと


人生は、選択の連続であるということはこのブログでもお話させていただいていますし、他の方でもそのように言われていることが多いですし、あなたも実感としてあるのではないでしょうか。
その一つ一つの選択が人生を作り上げていっています。そのため、ある時点で間違った選択をしてもその後の選択次第では取り返しがつくように人生は構成されていると思うのです。そこに如何に気づくことができるかということが大事だと思うのです。
ここでお話したシチュエーションは本当に小さな出来事です。しかし、バタフライ効果という理論があるとおり、小さな出来事も後々大きくなることが考えられます。
自分の人生を生きるならだいぶ楽になります。自分なりに納得しながら生きれるからです。だからこそ、この小さな出来事についても自分の人生を生きることを反映させて言葉を使ったほうがよいのです。

まだまだ小さい頃からの言葉遣いの癖とか考え方の癖とかが多く有りますが、今回のことに限らず、意識して生きていきたいと思います。

あなたはどのように感じますか。

Youtubeが面白い〜いろいろある:キャンピングカー自作?〜

前に軽自動車のキャンピングカーがほしいという記事を書きましたが、最近Youtubeでキャンピングカーを自作してみるという動画を見つけました。

以前の記事
珈琲から出てきた妄想

Youtubeって本当にいろいろあるなあと思いましたので、ここで共有したいと思います。
そもそもなぜYoutubeを見ているかというと韓国の問題がかなり大きくなってきた時に、ニュースをテレビなどの報道ではなくYoutubeでニュースを読み上げるというものを見るようになりました。
そうしていると、そのうち太平洋戦争のこととか日本すごいぞ動画とかいろいろあって面白くてはまっていきました。

そして、すごいですよね。トップページにあなたへのおすすめというのが自分が見た動画の履歴から作られているらしく、関連した動画なども表示されていく中で、ついにこのキャンピングカー自作動画が表示されたのです。

とにかくすごいですね。自分に技術もしくは時間とお金があれば、一度挑戦シてみたいと思いますが、今はこの動画を見るだけでなんだか満足している自分がいます。

キャンピングカーってこうやって作るんだというのがわかって楽しかったです。
そして、自作もできるんだということもわかってそのうち気合が入ったらやってみようかとも思います。

素人が全力でキャンピングカーを作ってみる1
素人が全力でキャンピングカーを作ってみる2
素人が全力でキャンピングカーを作ってみる3