知ることができる情報とは

自分が知ることができる情報はどんなものか。

僕が小説から受けた考え方がすっかり僕の中に根付いてしまっているので
結構偏ったものの見方かもしれないですが、今のこの時代だからこそもう一度ここに書いてみたいと思います。

情報を受けたときにその情報をどのように受け取るかは人ぞれぞれです。
なぜ、ひとそれぞれ受け取り方が違うかというと
今まで生きてきた中で常識や固定概念といったものができてきて
受け取り方が変わってきます。
人は面白いもので、兄弟でも情報の受け取り方が違ったり、
まったく赤の他人でも受け取り方が同じ人がいます。
いわゆるどのような視点で生きてきたかということが大事であり、
これが兄弟でも違う受け取り方、他人でも同じ受け取り方になる
所以でもあります。

情報にはもう一つ別の性格を持つものがあります。
それは、情報があまりにも飛躍しすぎていて受け取れない
もしくはパニックになってしまうというものです。
その情報に対する耐性というか受け取れる準備というか
そういったものがあるかどうかが重要になってきます。

この概念をもって書かれた小説が「サイバー戦争」というものです。
もうかなり古い本なので手に入らないかもしれませんね。

サイバー戦争〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション) 文庫 – 1998/7/1
サイバー戦争〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション) 文庫 – 1998/7/1

この本に登場する天才のグレーという人物は情報を教えるのにその人がその情報を受け取る準備ができているかを考える
人でした。
そこから「確かにそうかもな。」と納得したんです。
例えば、宇宙人が攻めてくるといったときに、信じる人と信じない人別れますよね。
宇宙人という存在の確かさを知っている人であればきっと信じるでしょうし、
宇宙人なんていないという考えの人であれば信じないでしょう。

人というものはそれだけ自分自身でも周りの状況でも考えを偏らせてしまう可能性がある生き物である
ということです。
これが僕の基本スタンスである「わからない」という概念です。
知ったつもりでも実は間違っていたなんてたくさんあることですし、
人の立場についてだってほとんどわからないわけです。
なぜ、怒っているのか、なぜ泣いているのかということはそれほど
単純な理由ではない可能性があるのに人は見ただけで決めつけてしまうこともある。
それだけ、危うい存在であるということを認識しておくと生き方がだいぶ変わってくるのではないか
と感じるのです。

そこで、記事のタイトルである「知ることができる情報とは」ですが、
それは自分で決めることができるのです。
自分が知りたいことは知ることができる。
都合よく受け取ることもできるし、本質に迫った受け取り方もできる。
それは、自分次第なのです。
固定概念を捨て、常識を捨て、本当のところどうなのかを考えてみる。

すると見えてくるものが違ってくるものです。
最初は信じがたいものになるかもしれません。
でも、そうやって見えた景色は他の人と違うからこそ本当のものに
近い可能性だってあるのです。

世の中の物事は、自分自身のことも含めて
いろいろなものをそぎ落としてそぎ落として最後に残ったものが
本当のものに近いのではないかと感じるときがあります。
玉ねぎのように幾層にも重なったものの下に本当のものがある気がして
そういう意味では世の中はとても楽しいものだと感じます。

そして情報を知るということはそれなりの覚悟がいります。
実はあまり意識していないかもしれませんが、情報を知る=責任が発生する
ということなのです。
それは、かなり覚悟を持っておかないといけない場合もあると思います。
誰にも言えず、墓までもっていかなければいけないものもあるでしょう。

実は、国のトップの人の見えている景色・入ってくる情報と僕たち一般の人たちが
見えている景色・入ってくる情報というのがとても大きく乖離しているなぁと
感じます。

世の中を見ていると総理大臣のことを悪く言う人もいます。
もちろん、いろいろ思うところはあるでしょう。
でも、もし同じ立ち位置で世の中を見たらもしかしたら
同情することになるかもしれません。
それだけ、僕たちには見えているものが違いすぎる可能性があるのです。

僕は、その違いを知ることはできません。
なぜなら、一般の人間だからです。どんなにあがいても情報は
入ってきません。
あくまでも一般人レベルの情報です。

こう考えてくると、知るということ知らないということどちらが良いかと考えますが、
自分や周りの人を守るのであれば情報は知っておくに越したことはないと
思っています。
これからはますます、情報を自分からとっていき自分で何が正しいかを考える力が
必要になってくると思います。
その中で自分の人生を納得をもって歩んでいくことが重要だと思えるのです。

皆さんはどのように感じますか。

これから生きる上で大事なこと~1.情報について~

このブログは、自分の人生を生きることをテーマにいろいろな観点で記事を書いています。
本日からしばらくは自分の人生を生きる上でこれから大事になってくるであろうことを書こうと思います。

コロナのことがあって2年間いろいろ考える時間がありましたね。
そこの経験も踏まえ、なんとなく考察していきたいと思います。
ちょっと長いスパンで書くことになるかもしれませんが、興味のある所をつまんで読んでもらえると
うれしいかなと思います。

<今回長期スパンで書こうと思っているテーマ>
・これからの世の中を生きる上で大事なこと
1.情報
2.精神
3.精神と物質
4.言葉
5.技術

<今日お話しすること>
【情報】
1.情報の重要性
2.どこから情報を得るのか
3.集めた情報の使い方
4.まとめ

<内容>
1.情報の重要性
皆さんご存じかもしれませんが、情報って重要なものです。
昔は、戦争などにおいても情報というものは重要な位置を占めていました。
それこそ相手の情報を持っていれば持っているだけ戦略的にも
戦いを有利に進めることができることでしょう。
昔の戦は情報をいかに集めるかで勝敗が決まっていたと思います。

さて、現在物騒なうわさが流れていますが、やはり情報というものは
大事です。
それは、国レベルの話ではなく、個人という意味でも大事なものだと思います。
生きる上でどうやって生きていくかを決めるのに情報ってやっぱり大事だと思うんですよね。
だって、食べ物買うのだって情報といえば、値段や産地や安全性とか気になりますよね。
情報がない状態で購入するのもありかもしれませんが、
やはり知っているに越したことはないです。
これは、食だけではありません。仕事とかも政治とかも経済とかも国際情勢とかも
知っているに越したことはないのです。

2.どこから情報を集めるか
さて、ではどうやって情報を集めるのがいいのでしょうか。
昔はテレビや新聞を見てニュースを知ったということも多かったと思います。
しかし、ここ近年のいろいろなことを見てみるとテレビや新聞はちょっとだけ
何かしら色眼鏡がかかっているような気がしてならないんですよね。

昔は、そんなに情報を集める方法もなかったのですが、
近年はネットワークが発達し、いろいろな方が情報を発信されていますので、
テレビだけではなく、ネットワークからも仕入れる癖をつけるといいと思います。
できるだけ、多くの情報を集める必要があると思うんですね。
その中にはフェイクなども含まれていることは理解をしておく必要があります。
流される情報は、切り取り方などで意味合いが反対になったりしますので、
伝える方が何かしら意図した場合もしてない場合もミスリードになる可能性は
あり、それはテレビでも同じことが言えます。
そこを理解したうえで、情報を多く集める必要があるのです。
特にこの時代はそれが非常に大事な気がします。

3.集めた情報の使い方
では、集めた情報はどのように使うとよいのか。ここではそんな話をしたいと思います。
情報は近視眼的なものが結構大半を占めると感じています。
そこから今何が起こっているのかを読み解く必要があります。つまり、分析です。
それぞれの情報はパズルのピースのように断片でしかありませんので、
集めたものを組み合わせて全体像を把握することです。
そこから、これから起こってくるであろうことを予測します。
そうすれば、起こったときには心構えができますし、起こらなければよかったで済みます。
このように何が起こっているかということを自分で考えることは大事です。
あっていても間違っていても問題はありません。
それが自分の人生を積極的に生きることにつながると僕は信じています。

さて、起こっている事象の1つのピースに過ぎない情報ですが、
その中には2つの区分に分けることができます。
「恐怖」と「感謝」です。
人間の感情の根底にあるものです。
つまり、受け取った情報から「恐怖・不安・怒り」などを想起される情報と
「感謝・平安・喜び」などを想起される情報です。
この分析を行っているときには、感情に振り回されないことが重要になります。
感情とは判断を誤らせるもとになりますので、悪い感情・良い感情ともに
この段階では必要がないものとなります。
感情は、もっと別のところで使わなければいけないので、ここでは横に置きます。

4.まとめ
さて、今日は情報のお話をさせていただきました。
情報を集めて分析をするところまで。全体像をいかに見るかそして先に起こることの
予想を立てる。
これが情報を考えたときに必要なことだよなと感じました。
そして、ここから人生において考えていかなければいけないことがいろいろと
出てくることになると思うのです。
もちろん、今日出た感情の話も今後はしていく予定です。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
あなたはどう感じましたか。
では、また次回お会いしましょう。