長期休暇の過ごし方2019年版

令和になって初めての長期休暇ですね。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。うちはどこに行く予定もないので、家にいて普段できないことをしています。そこで今日は長期休暇の過ごし方としては旅行でなくても良いのではないかということで記事を書いてみたいと思います。

目次
何をやりたかったか
家族としての目標
実際にやったことその1
実際にあったことその2
まとめ
何をやりたかったか
毎年長期休暇になると自分に技術的な課題を与えて何かしらプログラムなりサーバなりを作ったりしているのですが、
今年はラズベリーパイを使って何かしらのサーバとか作ってみたかったんです。しかし、マイクロSDメモリカードを調達
する必要があり、なかなか準備できずに、いじることができませんでした。

しかし、実は、技術的にも家族的にもやる必要があることがあったので、今日はそれを書いていきます。

家族としての目標
家族としての目標は、普段できない掃除をしようということになりました。長年片付けることができていなかったので、ちょうどこの連休が良い機会だったのです。庭の草も結構たくさん生えていたの抜いて除草剤をまき、きれいになってきました。
あとは、家の中の掃除を鋭意実施中です。これは、しばらく続くかなと思います。
除草剤をホームセンターに買いに行った時に、物置が売っており、思っていたよりも安くなっていたので、購入しても良いねと妻と話していました。いずれ購入できたらいいなぁと思っています。

実際にやったことその1
技術的に行ったことは息子がUnityでゲームを作りたいと休み前から言い出したので、作成途中でした。それを完成させるという目標ができました。息子にとってはなかなか難しかっただろうと思いますが、延べ10時間ぐらいで作成できたので、ちょうどよいサンプルだったなぁと思います。僕も試しに作ってみて、音楽付けて効果音付けて終了判定も変えてみました。まあまあ楽しめました。
<参考>
【Unity入門】60分でつくるシューティングゲーム 全6回

実際にやったことその2
やったことというよりは、新しい知識に出会ったというのが正しいです。心と体についてのオンライン講座を受講しました。なかなか珍しいもので、何かの縁を感じます。講座だけではあまりよくないので、書籍などで続けて勉強を行うと思っています。

まとめ
長期休暇は、家族でどこかに遊びに行くのも良いのですが、普段できないことを行うこともそれなりに有意義ですし、ヤフーニュースでちらっと見ましたが、家で寝て過ごす人がなんだか後ろめたさを感じているらしいというのを読みました。もしかしたら、見間違いかもしれないので、そうであればすみません。
しかし、僕個人としてはその人がしたいことをできたらいいのではないかと思うのです。そして、それを周りの人が優しく見守ってあげれる世界になれたらいいなぁと感じています。
長期休暇なのに心が重くなってしまっては元モコもありませんからね。まあ、うちの子どもたちにとって何処も行かないというのはなかなかさみしいのかもしれません。
ドラえもんののび太くんの声が聞こえてきそうなそんなうちの状況ですが、うちは家族みんな楽しくやっていると信じています。

長期休暇をあなたは、どのように過ごされますか?

人生にある不思議な縁〜心と体の関係そして健康への目標〜

人生には本当に不思議な縁があります。僕は基本的に人から得るというよりはインターネット経由での出会いのほうが圧倒的に多く、また実際の人ではなく書籍など情報との出会いのほうが多いです。そんな中ここ数年勉強してきて自分の中に確立してきた考え方と似ている教材に出会いました。この教材は健康についてのものだったのですが、とてもおもしろかったのです。そこで今日はその不思議な出会いを記念して、自分の確立してきた考え方と健康との紐付けを書いてみたいと思います。

思いや気持ちなど心が人生に与える影響

人生には見えない部分と見える部分があり、その2つが複雑に絡んで人生が構成されていると考えられます。このことをいろいろな書籍を通して勉強を行い、世の中で起こっている様々な事柄を考察するうちに僕の中でも徐々に確立されてきました。見えない部分というのは人の中にある思いとか気持ち、そして人の生い立ちであり、見える部分というのは人の顔とか言葉とか行動などです。そしてこの見えない部分・見える部分という概念を人生だけではなく仕事やお金、人間関係などにまで広げることによっていろいろなことが見えてくると感じるようになってきました。ここのブログはこれが基本となって書かれていて、今年は特に大きなテーマとして人生・仕事・お金について書いています。

このように考えるようになってから世の中を覗いてみると本当に見えない部分で動いていることが如何に多いかということに驚かされると同時に、このことを知らないと生きていく上で大変なのではないだろうかと常々考えてしまいます。だからこそ、他の人もブログなどで発信していますが、僕もブログを書いてみようと思ったのです。

実は、人生を生きていく上で考える必要がある4つのことについて以前記述させていただきました。(人生における目標で掲げる4つのこと)その中で自分があまり意識できていなかった健康について先日おのころ心平さんという方の教材に出会う機会がありました。本当に不思議なもので今自分に必要なものが来た感じだったのです。その教材の中には僕の考えをもう一歩先に進めたようなことが書かれてあったのです。

思いや気持ちなど心が体に与える影響

見えない部分が見える部分を反映するという考えが自分の中であって、人が常に思っていることとか人生における考え方によって人の顔が変わると考えていたのです。ここから人相学って結構科学的なものかもしれないと思えてきました。なぜなら人の考えていることが顔に出るとはよく言いますが、顔の筋肉(表情筋と言われると思いますが)が思いによって動きが変わるため、その人の考え方が反映され亜水と思ったからです。

僕が出会ったおのころ心平さんの教材は実は心と体にもお互い作用しあっているのだと言うことが書かれていたのです。深いですね。そして、カウンセリングをしながら体に現れている症状から心の問題を突き止めてそれを解決することにより体の問題も取り除くことができると書いてありました。病は気からという言葉を思い起こします。

もともと先に書いたような考え方をしているので、このおのころ心平さんが言われていることに妙に納得してすっかり腹落ちしてしまいました。出会った教材は書籍でそれに続くオンラインプログラムの前段でしたので、悩みに悩みながら結局オンラインプログラムも購入しました。このビジネスモデルは理解しているので、購入に際してはそんなに違和感はありません。

その教材にはいろいろな症状の人の事例や臓器と心の関係性などなかなかおもしろいことが書かれていましたので、勉強するのが楽しみでなりません。僕自身はカウンセラーになるつもりがあまりなく、自分の業務の中でふとした瞬間に活用できればいいなぁと思っています。

心と体の関係

今まで見てきたように見えない部分と見える部分、心と体には大きな関係がありそうだということはおわかりだと思います。僕は、この2つの存在というシンプルな事柄からその関係性における複雑システムという考え方がとても好きです。なぜならこれはシンプル故にいろいろな枠組み(フレーム)に適用しやすいし、物事の本質に近づいているような気がするからです。今まであまり体というものに目が行きにくかったのですが、この新しい視点を外部から与えられたことによって自分も体について目を向ける時期が来たと思って楽しんでいる次第です。

まとめ

人生にはとても不思議な縁があります。しかも、そのタイミングと言えば素晴らしく絶妙でそれをつかめるかつかめないかが人生の大きな分岐点になるなあと感じます。そして、つかめてもつかめなくても人生は素晴らしく楽しいものになっていくと思うのです。それは、人生の受け取り方を学ぶときとなりますし、新しいことを自分の中に取り入れることの楽しさは体験して見る価値はあると思います。

あなたもぜひ不思議な縁を感じながら、人生を楽しんでみてください。

良い人生の意味とその生き方

先日マラソンの指導者である小出義雄さんが亡くなられました。小出義雄さんはなくなる前にいい人生だったと語っていたとニュースで読みました。良い人生とはどのようなものでしょうか?僕は生きて40数年ですからまだまだぺいぺいの若造に過ぎませんが、少し背伸びをして良い人生の意味とその生き方を考えてみたいと思います。

目次
良い人生は人に言われるものではない
良い人生を考える上で生き様という言葉がどのような意味を持つか
良い人生とはその人としての人生を生きれたか

良い人生は人に言われるものではない

良い人生とは、人にどう言われようが自分がよいと感じれればそれでよいと言うことに尽きる。つまり、自分がどのように生きていたいかをよく考えることが必要になってくる。このあたりのことは、昨年通して色々と書いてきたが一言で言うと自分の人生というものを考え、自分を生きていくということにたどり着く。ただ、この自分を生きるということがなかなか難しい。どういうことかと悩むことが多いだろう。そこで、自分を生きるための方法を箇条書きにしてみた。

  • 自分に嘘をつかない
  •   何をするにも何を言うにも自分の中で納得をすること。自分の中で嫌なら嫌、良いなら良いをはっきりさせる。行動とか言葉はそれをはっきりさせた上で選ぶ。つまり、自分の言動に責任を持つということ。

  • 不平不満を言わない
  •   相手の行動に対して不平不満を言う代わりに自分が納得する言動をすること。嫌ならば付き合うかどうかを検討することをおすすめします。

  • 後悔しない
  •   自分の言動に責任を持つことは合わせて、自分の言動によって起こったことについて後悔をしないことと同じ。

良い人生を考える上で生き様という言葉がどのような意味を持つか

良い人生を考える上で人の生き様に思いを馳せることがあると思う。そのほうがイメージしやすいから。そこでこの章では生き様について考察したいと思う。生き様とは言ってみればその人がどのように生きてきたかということにほかならない。それでは、どのように生きてきたかを考えるに当たって、もっと分解してみようと思う。人が生きる時に人生の目標が徐々にできてくると思う。そして、生きてきた中からいろいろな思いを持って、その人が作り上げてきた法則に則って人生を生きていくことになる。そうなると、人生は、「目標(自分のものだったり、社会に対するものだったり、人生のものだったりしますね。)→内在する思いがある」・「その人の生きるルール」で語ることができるのではないか。そして、生き様といった時に該当する部分は多くはその人の生きるルールのように感じる。そこからその人がどのような思いを持っていたかを考えるとそこにドラマがあり、多くの感動を呼ぶことができると思うのだ。

良い人生とはその人としての人生を生きれたか

ここから良い人生とは、自分の人生を生きていくこと、そして自分の人生を生きる場合のルールを明確にし、それに準じて生きることと結論付けることができる。しかし、これはあくまでも一つの結論であり、実はもっと多くの良い人生というものを定義できる。なぜなら、最初にも書いたが、よい人生は結局の所他人が決めるものではなく、自分が良いと思えばそれで良い人生だからだ。

このように思えば、他人にどのように言われようが、自分の人生を歩むことが区ではなくなるような気がしないだろうか。個人的には、自分の人生を歩むことを始めるとそんなにストレスを貯めることもなく生きていけるような気がするが、気のせいだろうか。

あなたはどのように感じますか?ここまでお読みいただきありがとうございます。

良き理解者の必要性

人生には理解してくれる人が必要であると常々思っておりました。今回はそれをある映画から感じたので、書いてみたいと思います。

先日、「ボヘミアン・ラプソディ」がBlueray/DVDで出ましたね。うちにも妻が購入して来ました。4k版もありますがうちは再生する機材がないので、Bluerayぐらいでちょうど良い感じです。その映画は見た方も多いと思いますが、クィーンの。。。というかフレディのお話ですね。ライブ・エイドという1985年の募金活動の一環のライブまでのお話です。このお話の別の部分については、こちらに記載しましたので、興味があれば見ていただければと思います。ここでは、特に良き理解者の存在って大事だなぁと感じたのでどこを中心にしたいと思います。

この映画の中では、フレディーを支える女性としてメアリーという方が登場します。知っている人にとってはとても有名な方だと思います。彼女は、フレディのことを理解していたんだと映画を見て思いました。それは、異性に感じるものや夫婦に感じるもの以上の何かが合ったのではないかと思うのです。実は、このような支え合うような関係って自分たちにも存在すると思うのです。それが伴侶であったり、友人であったりはたまたビジネスパートナーであったりすると思うのです。

人生の中でこのように支援してくれる人の存在は大きく、様々な部分で良い方向に向かっていくようになっていると感じるのです。実は、自分も知らず知らずのうちに支援者になっていたりするかもしれません。

人の人生は複雑に絡み合い、人の思いがどこに向くのかということもわからないです。しかし、時として気になる存在や支えたくなる存在、支える必要を感じる存在がいることは確かです。それはなぜそう感じるのかはわかりませんが、そのようになっていると思うのです。その時に支援するかどうかは自分で選択することが可能であることも世の中面白くできているのです。

あなたは、誰に支援されていますか。また誰の支援者になっているでしょうか。今一度そのような観点で人間関係を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

自分が何を知っているかを知ることが知識の始まり

このタイトルの言葉をどこかで聞いたことがあります。多分、どなたか哲学者の方が言った言葉でしょうか。調べてみたのですが出てきませんでした。このことについて個人的にいろいろ考察してきましたので、一度現時点の考えをこでまとめてみようと思います。

目次

  • 知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること
  • いつまで経っても知らないことはなくならない
  • まとめ

知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること

人間は、知らないことを知った状態になることに快感を覚える生き物だと思います。僕自身もそうですし、過去偉業をなしてきた人たちにもそうだったのではないでしょうか。つまり、知識の探求を行うことに喜びを覚えるのです。では、その最初は?

知らないということを自分自身認識することから知識の探求は始まると思うのです。なので、よく子供などがいろいろ聞いて知っていることを自慢したいのかは置いておいて「そのことは知っている」という言葉を聞くと知識の探求に蓋をしてしまっているなぁと感じるのです。僕は、自己責任主義を持っていますので、たとえ知識を得る機会を逃していたとしても何もいうことはありません。ただアドバイスとしてそこで思考が止まってしまうということはいうだけです。蓋をしてしまうとそれ以降中に入ってこないので、それまで他の観点で見た場合に新しい発見が合ったときにはそれを知ることができなくなるのです。

特に研究などを行っている人には先入観は禁物であることは知られているのではないでしょうか。刑事ドラマとかでも先入観は禁物であることはよく示唆していますよね

知らないと知ることによって、知ろうとする心が生まれて来ます。すると、不思議と今まで気づかなかったことに気づくことができるようになってくるのです。だから、知っていると思っている事柄でも一度白紙に戻してもう一度学び直すとそこからそれまでの知識以上のものが発掘できるかもしれません。そもそも、人間は日々成長する生き物ですから同じ本でも昨日読んだ時に得た知識と今日読んだ時に得た知識は同じとは限りません。

先日、見た映画でも同じように感じましたので、その時の記事を共有しておきます。コンタクトー宇宙にいる人との接触と人間の2極化ー

いつまで経っても知らないことはなくならない

知らないということをなくそうと努力しても知らないことはなくなりません。逆に言えば知識が増える分知らないことは増えていくように感じるかもしれません。それもそのはずで、物事には2面性があるからです。見える世界と見えない世界があって複雑に絡み合っています。見える世界のことを取り扱っているのは技術だったり、コミュニケーション方法などと言ったスキルと言われるもの。見えない世界のことを取り扱っているのは、スピリチュアル系の本だったり、宗教だったり。それぞれを一緒に考えることが少ないように感じておりますが、別々に物事を見ていくと不思議なことや知らないことが増えてくる感覚に陥っていくのです。

では、見える世界と見えない世界の両面から見ていけば知らないことがなくなるかと言えばそうではありません。知らないという事実を受け入れることが重要になってくるのです。そうすれば、物事の本質に近づけるようになります。ちなみにテーマが違うのであまり多くは語りませんが、見える世界と見えない世界は感情という要素を通してみると面白い世界が広がります。このことについては別の機会にお話できればと思います。

まとめ

ここまで見てきたとおり、知らないことは知識の始まりであり、死ぬまで知らないことがある。これは人間に与えられた喜びであり、死ぬまで成長を続けることが出来るということです。人生は楽しいことでいっぱいであるというのが僕がここから出した結論です。

あなたはどのように感じますか。

言葉の持つ力ーその使い方と結果の受取ー

あなたは自分が発した言葉にどのような影響が出るかを考えたことがあるでしょうか?実はそこには自己責任という隠れた責任が存在していることを知っている人はいるでしょうか?それとも当たり前すぎて考えたこともないでしょうか?今日は、言葉の持つ自己責任性について考えてみたいと思います。

  • 言葉というもの
  • 自分と他人との関係性
  • 言葉の持つ自己責任性

言葉というもの

言葉の歴史は古いですね。意思疎通を図るものとして発展してきたと考えられていると思います。人間としては生まれたときから備えられた能力の一つと考えられます。ただ、別の考えをすれば、言葉を発することを覚えると同時に何かを手放している可能性はあります。ここでは話の関係上触れませんが、人間の能力は計り知れないものと考えられます。このように古くからある言葉というものは、人間にとってとても身近に存在します。それこそ意識しなくれもそばにあるものと考えます。それ故に言葉の力を意識できない人もいると思うのです。しかし、言葉の力というものはかなり大きなものであり、自分に対しても他人に対しても影響を与えるものです。これを踏まえて他人との関係性について考えてみたいと思います。

自分と他人との関係

自分と他人との関係において重要になることの一つが言葉ではないでしょうか?コミュニケーションを図る上でも言葉というものは結構重要な部分を占めていると感じます。そしてこの言葉を使ったコミュニケーションは時にいろいろなところに影響を与え自分に帰ってくることがあるのです。それがすぐ帰ってくることもあれば時間を開けてから自分に返ってくることがあるので、それが何故に起こっているのかがわからないこともあるのです。これが言葉が影響を与えるという理由です。しかもその言葉がいいか悪いかと言うのではなくどのように他人に受け取られたかで返ってくる方法などが変わってくるから更に複雑になりわからなくなるのです。これって携帯電話の契約に似ていると思ったのは僕だけでしょうか。

このように考えると自分の発した言葉によって自分の回りの状況が作られてくるんだということが少し見えてくるのではないでしょうか?自分に起こったことに対して不平や不満などを感じているときにはこのことを頭に置いたほうがよいと思います。そして自分の中に沸き起こった感情と向き合い、どのような行動・発言をするかを熟考するのが懸命です。その後の状況が大きく変わってくるからです。あなたはどのような人生を贈りたいですか。自分がよいと思える人生に向かいたいのであれば、余計に発する言葉には語気なども含めて気をつけたほうがよいです。

言葉の持つ自己責任性

ここまで見てきたように言葉には力があります。だからこそ発する言葉を熟考する必要があるのです。自分の周りで起こっていることはもしかしたら自分が発した言葉や行動などが原因かもしれないと思えば、自分が発した言葉というものにそれなりの責任があるといえるのではないでしょうか。

そんなことを考え始めると喋ることが怖くなる人もいるでしょうが、そこは心配しなくてもよいのです。世の中で起こっている出来事はそれを受け取る人が成長するためのものと考えると自分が発した言葉をその人がどのように受け止めるかはその人次第でそこはその受け取った人の責任と言えるのです。

気をつけたいのは、自分が発した言葉で自分に何かしてもらったときです。このときは自分が発した言葉がその人にそのように受け止められたのだと受け止めなえればいけません。そして、自分の中できちんと一連の流れを受け止め今後の人生に活かすようにしなければせっかく成長のために発生した出来事でも無駄にしてしまう可能性があるのです。

成長するべきところで成長できなければその後に別の形で問題として現れ、製法の機会が与えられることは別の記事に書いたとおりです。このことから自分が発する言葉には自己責任性があると言えるのです。

まとめると、言葉を発することを臆してはいけません。積極的に良い人生に向かうことができるように言葉を選ぶことをしたほうがよいということです。と同時に受け取りの仕方も学ぶ必要があります。遠慮は不要です。積極的に受け取るべきです。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

価値観の多様性

先日、スターバックスが1200円の珈琲を販売するとニュースになりました。それで結構物議を醸しているそうです。1杯1200円の珈琲は高いとか色々言われているそうです。そこで今日はこれを題材にものの価値観について議論したいと思います。ものの価値観を理解することはお金を扱う上で非常に重要になってきます。

目次

  • 1200円の珈琲は高い?
  • ものの価値は人それぞれ

1200円の珈琲は高い?

あなたにとって1200円の珈琲は高いでしょうか?それとも安い?人によっては安くも高くも感じますよね。僕だったら使っている豆が良い豆であれば、出してもよいかなと思います。

例えば、サザコーヒーでは、1杯3000円するものもあるらしいです。それにはそれなりの理由があります。その3000円するコーヒーの豆を購入するのにかなりお金をかけているのです。その豆は、ある賞を受賞するほどの豆であり、それぐらいするのも納得です。そのコーヒーを飲む人は、1度でよいから受賞した豆がどのようなものかを知りたいと思い、3000円出しても飲んでも良いと思うのです。

だから、スタバで1200円のコーヒーを提供しているのはそれなりに良い豆なのだろうと思うのです。そこに価値が見いだせればそれで良くて、価値が感じられなければ飲まなければ良いのです。所謂自己責任というものです。

ネットでよく言われているようなことは飲んでいる人にとってはどうでもよくてそこに価値を見出しているということなのです。

ビジネスとは、価値を提供するものだと思います。それによりお金が流れて経済が成り立っていくものだと思います。だからこそいろいろな商売があり、ものが流通していくのです。

ものの価値は人それぞれ

人の価値観はそれぞれです。最近は特にそれを感じます。だからこそいろいろなところでものが売れたり売れなかったり、売る場所によっては高くなったり安くなったりするのです。自分ではその値段では買わないものでも他の人は買ったりしますし、自分が十分安いと思っても高いと思って買わない人もいます。これは、人がそれぞれ育ってきた環境や生活してきた地域などが違うことにも起因します。生きていくということはとてもおもしろいと感じるのはこのようなことがあるからです。

お金というものは、価値の標準化をしたものですが、人がものにどのような価値を見出すかは人それぞれであるということをここではお話しました。僕はよくものの価格について適正かどうかということを考えてみたりします。その基準は僕というよりも他のものと見比べてみてどうかを判断します。判断するときは耐久性や使い勝手も考えて総合的に判断します。そして、妥当だけど買わない判断をするときもあります。

個人的には常に価格の妥当性を見極める訓練はしておいたほうがいいのかなと思ってます。

あなたは、いかがですか?

人生を変える方法の一つ

人生を変えたいと思ったことはないでしょうか。僕はあります。そのためには人生がどのようなものなのかを考えて見る必要があると思います。そこで、今日は人生のある側面について考察して、人生をより良い方に変えることができるかを考えてみたいと思います。

目次

  • 人生を構成するもの
  • 変えることができるもの
  • 今をどう生きるか
  • これからのこと

人生を構成するもの

あなたは人生は何で構成されていると思いますか。人や出来事やものでしょうか。実は構成要素としてはそれらは確かに存在します。そして、人生の方向を決めるのに出てくる登場人物としては、自分・相手・出来事の要素ではないかと思うのです。そして、ある出来事を自分がどう受け止めるかそしてそれに対してどのような行動を起こすのかという選択の連続で人生が方向付けられると考えられると思います。

なぜなら、自分の受け取った出来事、そしてそれに対する行動を受け取った相手それぞれの感情の絡み合いで出来事は連続的に出来上がっていきます。これが世の中で起こってくる出来事の本質です。人の受け取り方は人によって様々です。だから、世の中は複雑に出来上がっていくのです。人の受け取り方をある程度理解できれば世の中の出来事の本質はそれなりに理解できてくるのではないかと思っています。

そして、人生は視点を自分に向けて考えたときに見えてくるものです。僕は人生で大事なことを大まかに考えると、「自分が何をしたいか」といった目的、そして「自分の受け取り方」という選択、そして「どのように行動に移すか」という選択の3つだと考えます。

この3つをより深く考えていけば、人生を変えることができるのではないかというのが僕の提言です。

変えることができるもの

あなたは、変えることができるものはなにかを知っているでしょうか。実は変えることができるのは自分の考え方や行動のみであるということはよく言われていることです。他人の行動はなかなか変えることができませんし、他人が絶対変えないと思っていた場合には絶対に変わりません。それに対して自分というのは自分しだいですので、変えることは可能ですよね。

もし、自分の人生を変えたいと言った場合に、何を変えるべきかと言えば、自分の受け取り方、行動を変えると良い方向に向く可能性が高くなります。そして、先程目的というものも人生の構成要素として上げましたが、そこには思いというものが根底に流れますから、それにそって受取、行動を変えれば目的に向かって人生が動き出すと考えられるのです。これについては、ジェームス・アレンさんが書かれた「原因と結果の法則」という本の中に書かれていますし、有名な「思考は現実化する」もこの考えに近いものがあるのではないかと考えています。

今をどう生きるか

さて、今を考える前に過去に振り返ってみましょう。人生の要素の一つ「受取」に絞って考えます。一般的に過去は変えられないと考えられてますね。確かに過去に起こったことは変えることができません。しかし、変えることができることもあります。それが過去に自分が受け取った出来事の感じ方を変えること。つまり、受取を変えるということです。その時点で考えられる受け取り方をしてそれによって行動してきて今の人生になっているわけですが、それを自分の人生の目的に沿った考え方で受取をし直す作業をしてみることがとても大事になって来ます。人生は、出来事の連続、受取の連続というお話をしました。それをもう一度構成し直すのです。すると人生の裏の登場人物「感情」がよいものに置き換わるのです。自分の今の性格も変わってきます。醸し出す雰囲気も変わります。人の自分に対する態度も徐々に変わってきます。人生が少しづつ変わってくるのです。今が変わってきます。目的に沿ったものに近づいてくるのです。

どうですか?なんとなく人生って変えることができると思いません?

これからのこと

ここまでくるとこれからの人生も大きく変わります。今までの人生が嘘のように感じられ楽しくなってくるのです。人生は、連続性があります。今が変われば、これからも変わってきます。受取、行動も目的に沿ったものとなりますので、助け手も出てくることでしょう。

これが、僕が考える人生を変える方法です。方法は一つではありません。あなたも自分で色々考えて人生をより良くしてみてもらいたいと思います。

もし、よくわからないなら、本を読んだり講演に行ったりして自分の中にいろいろな考え方を取り込んでみてください。きっと何かが自分の中に出来上がってくると思います。それで人生を変えていければ良いと思うのです。

あなたは、どのように考えますか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。

仕事はなぜ行うのか

仕事はなぜ行うのか疑問に思ったことはありませんか。そもそも仕事しないと生きていけないと思っていませんか。ここではこの疑問について少し時間をとって考えてみたいと思います。

目次

  • 目的が変わってくる?
  • 仕事は人生の一部
  • 結論

目的が変わってくる

仕事の目的というものはその人の成長度合いによって変わってくると思われます。そもそも仕事をすることによってお金をもらえることから結構お金のために働く人や生活するために働くという人が多いような気がしますが、実はその他にも仕事を行う理由というものはあると思います。

そもそも会社が存在する意味というものがあって、社会に貢献するためというのが一般的な考え方です。その考えを基本とするのであれば、その会社で働く僕達も社会に貢献するというものが目的として上がってくると思うのです。ただ、この目的はそこそこ成長した人でないと理解することが難しいこともまた事実です。

だから、人の成長度合いによって目的が変わってくるのです。そして、どれが正しいというものではないというのもこの考え方から来ています。では、目的を考えるのは意味がないのでしょうか。そうではありません。先程も書きましたが、仕事の目的は成長度合いによって変わってきますので、目的を考えたときに自分がどこの視点で考えることができているかを検証することには意味があるのです。

仕事は人生の一部

仕事は人生の一部と考えることができます。そう考えれば人の成長度合いによると言われても納得できないでしょうか?人の人生を考えたときに生まれてから死ぬまでずっと学び、成長し続けます。大人となっても老年を迎えてもそれは同じです。だからこそ人生の大半の時間を仕事に割くことを考えれば、仕事が人生の一部であり、だからこそ仕事というのは人の成長度合いによっていろいろと変わってくるのです。

だから仕事の目的が変わることは当然です。僕の例で言えば、はじめは技術志向でそれで食べていくと考えていました。だからこそ自分の技術に磨きをかけ、給与はそれに見合っていると思われるものを要求しました。ある時からチームで働くことに意義を感じるようになりました。一人ではできることに限界があっても、チームであればより大きなことができると思ったからです。このときから仕事の目的が少し変わった気がします。もともと社会に貢献するというものを持っていましたが、よりそれを強く意識できるようになった気がするのです。そして、もう少し時間が経つと部下やあとからくる人への知識や技術の提供を考えるようになります。そして、人をよく見るようになりました。そして目的はより社会への貢献というものに繋がっていったのです。

結論

だから、あなたが考える仕事の目的はそれはそれでよいのです。少し目線を変えて少し将来の自分のために今後の働き方を考える上で何を大事にしていこうかを考えることもしてほしいと思うのです。それが今後の仕事の目的に繋がっていったらなおのことよいかなぁと思います。

お金を持つときに知っておくべき一つのこと

お金を多くても少なくても手に入れるときがあります。働いていれば1ヶ月分の給与として手に入れることができます。このお金を手にしたときに知っておいたほうがよいことが一つあります。これは、当たり前すぎてみんなが言わないことです。なのでこれから書くことは知っていることが多いかもしれませんが、一度じっくり考えてみてください。

目次

  • 経済を成り立たせているもの
  • 物を得る方法
  • 現在の物
  • お金とはなんなのか
  • 結論

経済を成り立たせているもの

今の経済を成り立たせているものは、基本的なことですがお金の流通です。物とお金を交換することによってお金の流通が発生してその循環によって社会が発達してきたと思います。では、この経済の基本となっている物とお金の交換についてもう少し見ていき、最終的にお金を持つときに必要な考え方とはどのようなものかを導いてみたいと思います。

物を得る方法

皆さんは物をどのように得ているでしょうか?先程も書きましたがお金を払って手に入れていますよね。最近ではクレジットカードやプリペードカードなどでも買うことができます。お金がなかった時代にはどのように得ていたでしょうか?実は物々交換だったのではないでしょうか?この物々交換を管理しやすい形にしたのが現在のお金の起源だと思っています。このお金を払って物を得るという行為がどのようなことなのかを紐解けばお金の本質に近づけるのではないでしょうか?

さて、物々交換をもう少し細かく捉えることにします。物々交換における大事な要素は、交換するものの価値が等しいということです。例えばお米1kgと珈琲豆500gを交換する場合、お互いが納得したら交換が成立するわけです。そのときに重要になってくるのは交渉術と思います。うまく交渉できればいい交換ができるような気がします。しかし、このままではなんとなくトラブルが起きそうな気配がしますね。人によって交換条件が変わってしまうということです。すると、不満が起きやすいのはわかりやすいのではないでしょうか?そこでお金が登場します。お金の価値をこれぐらいと決めてみんなに通達すれば、お金を得るときにはこれぐらいの価値を提供し、物を得るにはこれぐらいのお金を払うということが可能になり、わかりやすくなるのです。今の経済の中でも物々交換の要素は残っていますね。値引き交渉なんかはその要素が強く現れているような気がします。

つまり、物を得るために必要な価値というのがお金の本質な気がします。であれば、通貨というものでなくてもポイントとかそのようなものに置き換わっても問題なく機能して経済を回すことが可能になるのです。

現在の物

現在の物は目に見えるものにとどまりません。電子上のものだったり、考え方だったり、目に見えないものが多くなってきている気がします。その意味でより価値が大事になってきているような気がします。そして、現在多様化の時代に入っている気がするのですが、それ故に人によって物の価値が大きく変わってきている気がするのです。

オークションなんかは、人が感じる価値によって値段が変わりますね。その場の雰囲気も作用して普段ではありえない価格になってしまったりします。本も電子化されて目に見える形になっていないものもあります。書かれている内容に価値を感じれば本でなくても問題はありません。
このように考えるとより価値の交換の要素が強くなってきている気がします。

お金とはなんなのか

結局お金は価値を交換するために作り出されたものです。極端な話、価値を提供できてお互いに納得できればお金がなくても生活できるということになります。お金を持つこと自体は悪いことではありませんが、多くのお金を手にしたときにこのことを知っておかないとお金の多さに埋もれてしまってよく言われる破産に向かっていってしまうことになりかねません。お金があれば確かにできることは広がりますが、ないからと言って何もできないわけではないということを知っておいてもらいたいのです。

結論

お金というものは、価値の代わりであるということをここではお話しました。お金があるから金持ち、お金がないから貧乏ではありません。お金の本質を知っていることがより重要です。お金持ちはお金の本質を知っているため、お金がなくなってもまたお金を手に入れることができますし、お金がなくても生活には困りません。

お金そのものよりも自分がどのような価値を提供できるかがより重要な時代に来ているような気がするのです。

あなたは、どのような価値を提供しますか?