お金の認識による人生の変化

お金とはどういうものかあなたは知っていますか。もちろん、目に見えるお金というものは存在しますが、その意味というものはなかなか奥深いものがあります。そこで今日はお金を視点にしてお金の認識を変えてみると人生にどのような変化が味わえるかということを考えてみたいと思います。

お金とは何か

あなたはお金とは何かを考えたことがあるでしょうか?そもそもお金は目に見えるものですよね。ですから、お金って何かと聞かれれば、貨幣、紙幣を頭に思い浮かべると思います。そして、それは事実です。
では、お金の存在自体は目に見える視覚的なものですが、それに付随することを考えてみたいと思います。
お金を考えた時にどのような感情が生まれるでしょうか?
・お金がたくさんあれば楽できる?
・自由になれる?
・お金がないから生活が苦しい?
ネガティブな感情からポジティブな感情まで様々なものが生まれると思います。
実はこれお金に限ったことではありません。

お金に紐づくもの

お金に紐づくもの、それは実は感情です。先程も書きましたがお金に限ったことではないですが、お金が1番わかりやすく1番いろいろなところに影響を出しやすいものなのです。
所謂、誰かが市場で人間に対するテストをしているんじゃないかと思うほど、お金に付随する感情に翻弄されるときが有りますよね。
いろいろなところで、お金にまつわるトラブルって多いと思いませんか。それこそ遺産相続だったり、資産が多いために命狙われたり。ここで、このことに気づくと人生においてのお金の役割というものに気づくことができるのではないかと思うのです。
ここで書かせていただく内容はあくまでも個人的な意見として捉えてください。

お金との付き合い方

さて、お金が感情に紐づくとすれば、人生においてお金との付き合い方を考えなければ、どのような人生を送ることになるかを理解することが難しくなると思うのです。
そこでここでは、お金との付き合い方を考えてみたいと思います。
お金というものの認識を感情を抜きに考えていた場合には、お金の本質とは別の認識をしてしまいやすく、そのため人生をお金のために使ってしまうということが起こりかねません。人生は本来は自分自身のために生きるべきです。そこがベースにあって様々な活動に彩りが出てくるのです。では、お金についてどのように考えどのように付き合うべきなのか。一つ言えることはお金とは価値の代替であるということ。
だから、みんなが思っているほどにお金が必要かと言えば実はそうではない可能性があるのです。もちろん、お金という共通の価値観を使用することも大いに大事なときもあります。災害などのときには寄付などがあれば本当に助かるのも事実です。しかし、生きていく時にお金がない場合でも人との繋がりをうまく構築して価値を提供したりすればそれなりに生きていくことができると思うのです。これは、ジェームズ・スキナーさんが言われていたように記憶しています。
<参考>
お金の科学

そのように考えれば、お金とは価値の代替であること、良くても悪くてもお金には感情が付加されてしまうこと、このことを理解しておけば、人生においてお金に固執する必要もないということがわかっていただけるのではないでしょうか。逆にお金に固執してしまうとそれに付随する感情によって本来は自分の生きるべき人生がそちらに流されて良くない方向に進んでしまいかねません。

これが、一般的に知られていないお金の難しいところだと思っています。

お金によって自分の本来しなければいけないことができないようであれば、そこは一歩引いて考えなければ行けないのではないかと思うのです。このように気づければ一番良いと思うのですが、ここがなかなかむずかしいところでもあるのです。

まとめ

ここまで、お金についてお話してきました。お金については次のように考えられます。
・価値の代替
・感情のゆらぎ
この2つを理解することによって自分の人生にどのようにお金を組み込むかということが考えられるようになります。
お金は難しく、人との繋がりも繋がりもするし、切れもします。一度時間をとってお金の存在そのものについて考えてみるといいかもしれませんね。

あなたはどのように感じましたか

ここまでお読みいただきありがとうございます。

<追記>

今回のお金の記事を書いた時にかなり昔に買った「お金の科学」を引っ張り出して読んでみました。軽くしか読んでいないのですが、今一度読み直し勉強をし直してみても楽しいかなぁと思えましたので、また、読んでみようと思います。

みなさんもお金のことを考えて見る時に参考に上げたお金の科学を読んでみると何か新しい発見があるかもしれません。それ以外の本もお金に関する本を読んでいてくださいね。

人生の中で選ぶべきもの〜付き合う人〜

あなたは友人を選ぶと聞いてどのように感じますか?いろいろなことを思うと思いますが、自分の人生の中に招き入れても良い人と良くない人がいることをご存知ですか?このことは、実は友人にも言えることです。そこで今回は、みなさんがニュースなどで聞いて知っている元NGT48の山口真帆さんの件を交えながら、付き合っても良い人と付き合ってはいけない人(付き合っても深くは付き合わない)について考えていきたいと思います。

目次
付き合っても良いと思える人
付き合わないほうが良い人
山口真帆さんの場合
まとめ

付き合っても良いと思える人

付き合っても良いと思える人はどのような人でしょうか?
自分を好きでいてくれる人や相手に行為を持っている人そして一緒にいて楽しい人ではないでしょうか。これはそのとおりだと思います。ここでもう一つ付け加えたいのは、付き合っていると自分が成長していけると思える人です。この場合、厳しいことをいう人もいると思います。ただ、その厳しい言葉の裏には自分の成長を促す目的がある場合が殆どで、実際その言葉をよく考察すると自分が生きていく上で成長することができると思えると思います。そのときにはそのように思えなくても後々そのように気付かされる場合があります。そのような人はとても貴重で付き合うべき人と思えるのです。

付き合わないほうが良い人

対して付き合わないほうが良いほうがいい人もいるわけですが、どのような人でしょうか?
一緒にいて楽しくない人、自分を嫌っているような人などでしょうか。実は、自分をいろいろな意味で傷つける人や自分の人生を悪い方に向かわせるような人は付き合わないほうが良いと思います。
例えば、一緒にいて楽しいけれども周りからあまりよい噂を聞かない人とか。その場合にはその人には裏の顔と表の顔が有り、明確に使い分けていると言えます。人間は多かれ少なかれ2面性を持っていますが、それほど大きな乖離がない場合がほとんどであると思っています。この表と裏を使い分け、表ではよいことをいい裏では悪いことを言う場合には信用してもできないですし、付き合うべきではないかなぁと思うのです。少なくとも、深くは付き合わないほうがいいですよね。

山口真帆さんの場合

上記のことを考えながら、山口さんの場合を考えてみたいと思います。
山口さんの場合には友達関係とかではなくお仕事上での付き合いでしたが、付き合う人付き合わない人という観点で見ると明らかに付き合わないほうが良い人達に囲まれていたと考えて良いかと思います。その場合の彼女の行動がとてもすごいと思ったんです。もちろん、時代性もあるかと思うんですよね。SNSが発達しており個人の発信が可能となっている点。そして、応援してくれている人がいる点。これらはとても大きい。それが故に今回他の事務所にも移ることができましたね。
公のところではっきりと発言もしてましたから彼女には本当に強いものがあると感じました。
一連の流れなどはニュースにもなりネットにも流れてますから触れる必要もないですが、ニュースを見て感じたのは彼女の人生において活躍する場と付き合う人たちを自ら選んだなと思ったんです。

まとめ

人生いろいろな局面がありますが、悪意が満ちている場合難しいかもしれませんが、そこから抜け出す必要がありますし、努力も必要です。その時に相談できる信用できる人を常に考えて置くと良いかと思うのです。最終的に行動に移すのは自分ですが、良いアドバイスを受けて自分の責任の上で行動に移せば良い人生に繋がっていくと思うのです。
世の中には建前の付き合いも有りますが、本当の付き合いというものもできるようになっていると良いですね。

あなたはどのように感じますか?

ここまでお読みいただきありがとうございました。

考え方の根底にあるもの〜枠組みの存在〜

あなたは、常識というもののあやふやさを知っていますか?常識というものは一般的な考え方だと思うのですが、そこには不確定要素が多く存在します。それは一般というものがどの範囲かということ。どれぐらいの人がその考えを持っていたら異パン的なのでしょうか?僕にはよくわかりません。
このように考える僕はきっと非常識なのでしょう。そこで、今日は常識という観点から人が考える根底にあるものを考察し、さらに人とコミュニケーションを取る時に顕にされる見解の不一致がどこから来るのかを考えてみたいともいます。

なぜこのように考えるようになったか


なぜこのように考えるようになったかと言えば、YouTubeで宇宙人の動画があってその中で宇宙人は以下のことを話していたことによります。
・われわれは地球人が進化した姿だが、生殖機能がないため別の種族と言える
・神はいない
・この世界は偶然による
などなど

まあ、Youtubeで流れていることをそのまま鵜呑みにするつもりはありませんし、神様の存在を無理やり信じ込ませるつもりもありません。(ちなみに僕はクリスチャンですが、だからというわけではありません。)
この動画を見て思ったのは、その宇宙人が話している内容は地球人の考え方に似ていると思ったのです。同じ土俵で話をしているなと。宇宙人って地球人とそんなに変わらないんじゃ?と思ったわけです。
で、このあたりは感覚の話になりますので、自分なりになぜこのように感じたのか深く考察してみました。

このように感じた理由は実は次でお話する考え方の根底にあるものが同じに感じたからです。
その意味で宇宙人が地球人が進化したものというのも本当であればなんとなくわかるような気がしました。

人の考え方の根底にあるものとは


考え方の根底にあるものとは、実は枠組みの存在です。フレームとも言われます。
これが同じ土俵で話をしているような感覚に陥った原因です。枠組みとはどのような立場で物事を考えるかということにほかなりません。僕は、ひと目をはばからずに言いますが、人間の存在とは肉体と霊の2つに分けて考えています。ベースにあるのがこれですから、多くの人とは枠組みがかなり違うことになるのです。一般的には、個というものは霊とも肉とも分けて考えることが少ないように感じます。とすると先のように神様は存在しないという話になってくるのです。実はそれってあまり大きな問題ではありません。もっと別の根本的な話をする必要があるのです。
僕からしたら先のYoutubeの宇宙人の話が本当であれば、宇宙人も大したことなく肉体ベースの考え方しかできていないということになります。物事の捉え方が普通すぎるという感じを受けました。

コミュニケーションによる相違


人とのコミュニケーションは、基本的にはベースとなるものが表に出てきますので、それを理解しておけば、会話というものも楽しくすることもできますし、そのコミュニケーションの中から学びも起こってくることになります。
基本的には、そのベースとなる部分つまり枠組みはその人独自のもので、どれ一つをとっても同じものはないと思っています。ただ、人が集まればルールなどができるので、枠組みが似通ってくることはあると思うのです。
近年は、人との距離が昔ほど近くないと感じますので、その意味ではそれぞれの枠組みが違ってきていて、それを理解できないためにトラブルに発展することも多くありそうな気がします。
世の中に起こっているニュースを見るとそれが顕著に感じられます。

人生における枠組みという存在


僕は、人生において人が持っている枠組みというものは人固有のものであってとてもおもしろいものだと思います。人の間でも違いますが、同じ人でも枠組みが変わることもあり、本当に不思議な存在です。生きてきた中で育てることができるものが枠組みだと思うのです。
枠組みは、視点を変えるということでも有りますし、物事の捉え方を変えるということでも有りますし、物事を見る場所を遠くしたり、知覚してみるということでも有ります。
同じ事象を見ても感じることが様々なように、その感じ方は見る場所、見る立場によって変わるのです。それを理解している人は大人であると感じ、理解していない人は子供と感じるのです。その意味で、この世の中は大人が多いでしょうか?子供が多いでしょうか?どちらにしても、人生は物事の捉え方で大きく変わりますから、枠組みという存在もかなり重要に感じるのは僕だけでしょうか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。
あなたはどのように感じますか?

人生を豊かにする方法の一つ〜目標を定める〜

人生を豊かにする方法は様々な書籍にまとめられて出版されている。その中でも重要だと思うのが目標を定めること。そこから何をするかを落としていく作業をすることだと思う。
そうすれば、自分の望みに近い人生を歩めると思うし、実際そうだから様々な本にそのように書かれている。そして、それを実行して自分の望む人生を歩んでいる人がいることも確かだ。そこで、今日は、この目標を定め、日々の行動にまで落とし込んだらなぜ自分の望む人生を歩めるのか、そしてそれを知りながらなかなか取り組むことができない理由などを考察してみたい。

目標を定める理由


目標を定めることの理由は言う必要もないぐらい一般的だと思う。目的地につくためにはそこの場所を知らなければ、たどり着くことができないからだ。これは、人生においても同じことと言える。だから目的地とも言える人生の目標を嫌でも考えなければいけない。もし、今わからなければ別に焦る必要もない。とにかく目標となることを決めればよいのだ。漠然とわからないければ資格を取るでもいい。そして、自分がしていて楽しいと思うことに焦点を置いてみると人生の目的が明確にしやすいのではなかろうか。どんなことをしたとき、人にされたとき嬉しく感じることも考えるとなおよい。より人生に楽しみが増す。そうやって、少しづつで良いから目標を決めて少しづつ進めば良い。その小さな積み重ねが後に自分の人生を構築して最終的には、これと言えるものが見えてくるのだ。これが目標を定める理由だ。

日々の行動にに落とし込む


実は目標は長期から短期まであり、短期であれば、1ヶ月とか3ヶ月とかのものがあるだろう。そうなれば、日々の行動計画もできてくる。今日やることを把握し、できたかどうかを確認し、できなければ翌日に実施する。これを繰り返すと目標に近くなる。
そのために、日々の行動計画に落とし込む必要がある。

確認し次の行動につなげる


行動を行った後は、必ずできたかどうかを確認する。できないことは悪いことではないので、そこで落ち込む必要もない。ただし、いつまでに終えるかという最終ラインは意識しておいたほうが良いだろう。

このように目標を立てて、計画を実行していくことはとてもよいことだし、有益なことは誰でもわかっていることと言えるが、なかなか実行できないものであることも事実。これは僕もそのうちの一人である。だからといって諦める必要もないし、やってやるという気持ちは必要だと思っている。
そして、この行動を起こすためのツール類はだいぶ整ってきているというのが僕の印象だ。人によっては、パソコンだったり、スマホだったり、メモ帳だったりすると思う。僕は最近、このような目的のツールとしてバレットジャーナルというものを知った。

参考として、書籍のリンクを貼っておくので、気になる人はぜひ読んでみて活用してほしい。
バレットジャーナル 人生を変えるノート術

個々までお読みいただきありがとうございます。

人生を構築するための情報活用方法

僕は本が大好きでよく読みます。個人的にクリスチャンであることから聖書も読みますし、最近はビジネス書を読んだり学びのために本を読んだりします。しかし、誰もが知っている通り本だけでは学べることはかなり限られてきます。そして、今は本という形ではなくブログという形を通して様々な物語に触れる機会が多く有ります。

今日はそんなブログというかネットにて配信されていた心温まる話に目を触れたことから人生にどのように影響を与えるかそして情報が多い時代だからこそ情報の取捨選択は人生に大きな影響を与え、彩りを添えることになるんだということをお話したいと思います。

目次
前提
どのような情報を得て人生に彩りを添えるか
取り込んだ情報で人生を再構築する

前提

人には共通して与えられているものとして時間があります。時間は人によって流れ方が違いますが、その価値は多くの人が知っているとおり結構価値があります。その時間をどのように使うかということがまず大事になってきます。このブログの中でも置く書くことですが、目的、目標に沿って時間を何にどのように配分するかで目標に近づけることができるかというのは大きく変わります。
つまり、時間を何に使うかは人生においては重要なポイントとなります。
また、だからといって無駄に使った時間が全く意味をなさないかと言えばそうではないと僕は考えます。人生において無駄と思えることでも実はそこからの学びがあるため、無駄でも無意味ではないと思っています。
この記事でもそうですが、当ブログではこのような考え方に沿って物事を考察しています。

どのような情報を得て人生に彩りを添えるか

1.情報伝達の種類

情報が多く氾濫している今日のような時代ですが、どのように情報を得るべきでしょうか?一つは、紙の媒体を用いること。例えば本や新聞です。技術書などは紙で見たほうが良いときも有りますし、ワークブックのようなものも紙の方が書き込めるので、そちらのほうが良いですね。新聞なども世の中の起こっていることをざっと流し見る意味では良い媒体です。
このように発生から時間が経っても意味のある情報に関しては紙の媒体でもよいかと思っています。そして、この紙の媒体の良いところは、手などを使用して紙の感触を感じながら文字を読めることです。よく考えたらこれって贅沢ですよね。
対して、電子的な情報媒体も最近は流行っています。テレビ然りネット然り。これらの媒体は速さを売りにしている部分が有ります。確かに物事が置きてから発信されるまでの速さは群を抜いてます。今は携帯電話が普及したことにより誰でも情報が発信できる時代になりましたから、特にその傾向が強くなってきている気がします。

2.情報を得やすくなったことによる弊害

情報が氾濫し始めてだいぶときが経ってきました。前から言われていることですが、浅く広く情報が発信されている場合もあり、情報に信憑性などがないという問題が出ています。これは、最近も変わらず、特に携帯電話でいつでも発信できること、SNSなど個人の繋がりをネット上に構築したことなどが挙げられます。今はネットが出てきてこのような状況が一般大衆の目に付きやすくなったがために言われ始めましたが、実は昔から存在しました。よく映画などでも出てきますが、大きな組織が人をまとめるときの手法によく似た状態が全体的に広がったイメージです。
これは、人間が何らかのテストをされているような感覚に陥ります。今の状況を手に入れたら人間はどのように動くのかというようなテスト。〜まあ、考え過ぎかもしれませんね。〜

3.情報の取捨選択

さて、このように情報が氾濫している状況で情報を取捨選択する方法を模索していく必要が有ります。ではどうするかというとあなたが取っている立場によって方法は変わるでしょう。
人によってはスピリチュアルな考え方をするのであれば、直感を信じるとか神様を信じているのであればお祈りするとか情報の信憑性を調べるとか。この中でも直感はなかなかよいものかもしれません。(個人的にはお祈りもしますし、信憑性も調べます)直感はそれまで生きてきた自分の能力を試す良い機能です。その選択によって間違っていると思えば受け取らないようにする必要もあります。それも直感ですからね。このように情報の取捨選択によって人生が構築されていくのです。
そして、今日出会った記事がこちら。僕はとてもあたたかいものを受け取りましたよ。
「あんたは宝箱」認知症のおじいさんが妊婦に伝えた言葉に涙が止まらない

取り込んだ情報で人生を再構築する

さて、今まで情報の取得について書いてきましたが、取得した情報をどのように活用するか。まづ、取得した情報は鵜呑みにしないことが大事です。疑った目でそれを見る必要があります。そして、情報を活用するために必ず自分で確認する。それができなければ一つの可能性であるとしてとどめておく。
そして、取り込む価値があると判断した情報を使うには、生活の中で活用するのが1番。そして、それが確かめることにもつながるし、問題なければ人生が良くなり、問題があれば悪い方に向かいます。悪い方に向かっていると感じるのであれば、その情報を活用することを辞めることです。人生については、情報を活用して効果が出るのに時間がかかるものもあればかからないものもあります。そのため、先程お話した直感だったり、日々の祈りが大事になってくるのです。少しでも違和感を感じたら活用を辞める勇気が必要です。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

長期休暇の過ごし方2019年版

令和になって初めての長期休暇ですね。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。うちはどこに行く予定もないので、家にいて普段できないことをしています。そこで今日は長期休暇の過ごし方としては旅行でなくても良いのではないかということで記事を書いてみたいと思います。

目次
何をやりたかったか
家族としての目標
実際にやったことその1
実際にあったことその2
まとめ
何をやりたかったか
毎年長期休暇になると自分に技術的な課題を与えて何かしらプログラムなりサーバなりを作ったりしているのですが、
今年はラズベリーパイを使って何かしらのサーバとか作ってみたかったんです。しかし、マイクロSDメモリカードを調達
する必要があり、なかなか準備できずに、いじることができませんでした。

しかし、実は、技術的にも家族的にもやる必要があることがあったので、今日はそれを書いていきます。

家族としての目標
家族としての目標は、普段できない掃除をしようということになりました。長年片付けることができていなかったので、ちょうどこの連休が良い機会だったのです。庭の草も結構たくさん生えていたの抜いて除草剤をまき、きれいになってきました。
あとは、家の中の掃除を鋭意実施中です。これは、しばらく続くかなと思います。
除草剤をホームセンターに買いに行った時に、物置が売っており、思っていたよりも安くなっていたので、購入しても良いねと妻と話していました。いずれ購入できたらいいなぁと思っています。

実際にやったことその1
技術的に行ったことは息子がUnityでゲームを作りたいと休み前から言い出したので、作成途中でした。それを完成させるという目標ができました。息子にとってはなかなか難しかっただろうと思いますが、延べ10時間ぐらいで作成できたので、ちょうどよいサンプルだったなぁと思います。僕も試しに作ってみて、音楽付けて効果音付けて終了判定も変えてみました。まあまあ楽しめました。
<参考>
【Unity入門】60分でつくるシューティングゲーム 全6回

実際にやったことその2
やったことというよりは、新しい知識に出会ったというのが正しいです。心と体についてのオンライン講座を受講しました。なかなか珍しいもので、何かの縁を感じます。講座だけではあまりよくないので、書籍などで続けて勉強を行うと思っています。

まとめ
長期休暇は、家族でどこかに遊びに行くのも良いのですが、普段できないことを行うこともそれなりに有意義ですし、ヤフーニュースでちらっと見ましたが、家で寝て過ごす人がなんだか後ろめたさを感じているらしいというのを読みました。もしかしたら、見間違いかもしれないので、そうであればすみません。
しかし、僕個人としてはその人がしたいことをできたらいいのではないかと思うのです。そして、それを周りの人が優しく見守ってあげれる世界になれたらいいなぁと感じています。
長期休暇なのに心が重くなってしまっては元モコもありませんからね。まあ、うちの子どもたちにとって何処も行かないというのはなかなかさみしいのかもしれません。
ドラえもんののび太くんの声が聞こえてきそうなそんなうちの状況ですが、うちは家族みんな楽しくやっていると信じています。

長期休暇をあなたは、どのように過ごされますか?

人生にある不思議な縁〜心と体の関係そして健康への目標〜

人生には本当に不思議な縁があります。僕は基本的に人から得るというよりはインターネット経由での出会いのほうが圧倒的に多く、また実際の人ではなく書籍など情報との出会いのほうが多いです。そんな中ここ数年勉強してきて自分の中に確立してきた考え方と似ている教材に出会いました。この教材は健康についてのものだったのですが、とてもおもしろかったのです。そこで今日はその不思議な出会いを記念して、自分の確立してきた考え方と健康との紐付けを書いてみたいと思います。

思いや気持ちなど心が人生に与える影響

人生には見えない部分と見える部分があり、その2つが複雑に絡んで人生が構成されていると考えられます。このことをいろいろな書籍を通して勉強を行い、世の中で起こっている様々な事柄を考察するうちに僕の中でも徐々に確立されてきました。見えない部分というのは人の中にある思いとか気持ち、そして人の生い立ちであり、見える部分というのは人の顔とか言葉とか行動などです。そしてこの見えない部分・見える部分という概念を人生だけではなく仕事やお金、人間関係などにまで広げることによっていろいろなことが見えてくると感じるようになってきました。ここのブログはこれが基本となって書かれていて、今年は特に大きなテーマとして人生・仕事・お金について書いています。

このように考えるようになってから世の中を覗いてみると本当に見えない部分で動いていることが如何に多いかということに驚かされると同時に、このことを知らないと生きていく上で大変なのではないだろうかと常々考えてしまいます。だからこそ、他の人もブログなどで発信していますが、僕もブログを書いてみようと思ったのです。

実は、人生を生きていく上で考える必要がある4つのことについて以前記述させていただきました。(人生における目標で掲げる4つのこと)その中で自分があまり意識できていなかった健康について先日おのころ心平さんという方の教材に出会う機会がありました。本当に不思議なもので今自分に必要なものが来た感じだったのです。その教材の中には僕の考えをもう一歩先に進めたようなことが書かれてあったのです。

思いや気持ちなど心が体に与える影響

見えない部分が見える部分を反映するという考えが自分の中であって、人が常に思っていることとか人生における考え方によって人の顔が変わると考えていたのです。ここから人相学って結構科学的なものかもしれないと思えてきました。なぜなら人の考えていることが顔に出るとはよく言いますが、顔の筋肉(表情筋と言われると思いますが)が思いによって動きが変わるため、その人の考え方が反映され亜水と思ったからです。

僕が出会ったおのころ心平さんの教材は実は心と体にもお互い作用しあっているのだと言うことが書かれていたのです。深いですね。そして、カウンセリングをしながら体に現れている症状から心の問題を突き止めてそれを解決することにより体の問題も取り除くことができると書いてありました。病は気からという言葉を思い起こします。

もともと先に書いたような考え方をしているので、このおのころ心平さんが言われていることに妙に納得してすっかり腹落ちしてしまいました。出会った教材は書籍でそれに続くオンラインプログラムの前段でしたので、悩みに悩みながら結局オンラインプログラムも購入しました。このビジネスモデルは理解しているので、購入に際してはそんなに違和感はありません。

その教材にはいろいろな症状の人の事例や臓器と心の関係性などなかなかおもしろいことが書かれていましたので、勉強するのが楽しみでなりません。僕自身はカウンセラーになるつもりがあまりなく、自分の業務の中でふとした瞬間に活用できればいいなぁと思っています。

心と体の関係

今まで見てきたように見えない部分と見える部分、心と体には大きな関係がありそうだということはおわかりだと思います。僕は、この2つの存在というシンプルな事柄からその関係性における複雑システムという考え方がとても好きです。なぜならこれはシンプル故にいろいろな枠組み(フレーム)に適用しやすいし、物事の本質に近づいているような気がするからです。今まであまり体というものに目が行きにくかったのですが、この新しい視点を外部から与えられたことによって自分も体について目を向ける時期が来たと思って楽しんでいる次第です。

まとめ

人生にはとても不思議な縁があります。しかも、そのタイミングと言えば素晴らしく絶妙でそれをつかめるかつかめないかが人生の大きな分岐点になるなあと感じます。そして、つかめてもつかめなくても人生は素晴らしく楽しいものになっていくと思うのです。それは、人生の受け取り方を学ぶときとなりますし、新しいことを自分の中に取り入れることの楽しさは体験して見る価値はあると思います。

あなたもぜひ不思議な縁を感じながら、人生を楽しんでみてください。

良い人生の意味とその生き方

先日マラソンの指導者である小出義雄さんが亡くなられました。小出義雄さんはなくなる前にいい人生だったと語っていたとニュースで読みました。良い人生とはどのようなものでしょうか?僕は生きて40数年ですからまだまだぺいぺいの若造に過ぎませんが、少し背伸びをして良い人生の意味とその生き方を考えてみたいと思います。

目次
良い人生は人に言われるものではない
良い人生を考える上で生き様という言葉がどのような意味を持つか
良い人生とはその人としての人生を生きれたか

良い人生は人に言われるものではない

良い人生とは、人にどう言われようが自分がよいと感じれればそれでよいと言うことに尽きる。つまり、自分がどのように生きていたいかをよく考えることが必要になってくる。このあたりのことは、昨年通して色々と書いてきたが一言で言うと自分の人生というものを考え、自分を生きていくということにたどり着く。ただ、この自分を生きるということがなかなか難しい。どういうことかと悩むことが多いだろう。そこで、自分を生きるための方法を箇条書きにしてみた。

  • 自分に嘘をつかない
  •   何をするにも何を言うにも自分の中で納得をすること。自分の中で嫌なら嫌、良いなら良いをはっきりさせる。行動とか言葉はそれをはっきりさせた上で選ぶ。つまり、自分の言動に責任を持つということ。

  • 不平不満を言わない
  •   相手の行動に対して不平不満を言う代わりに自分が納得する言動をすること。嫌ならば付き合うかどうかを検討することをおすすめします。

  • 後悔しない
  •   自分の言動に責任を持つことは合わせて、自分の言動によって起こったことについて後悔をしないことと同じ。

良い人生を考える上で生き様という言葉がどのような意味を持つか

良い人生を考える上で人の生き様に思いを馳せることがあると思う。そのほうがイメージしやすいから。そこでこの章では生き様について考察したいと思う。生き様とは言ってみればその人がどのように生きてきたかということにほかならない。それでは、どのように生きてきたかを考えるに当たって、もっと分解してみようと思う。人が生きる時に人生の目標が徐々にできてくると思う。そして、生きてきた中からいろいろな思いを持って、その人が作り上げてきた法則に則って人生を生きていくことになる。そうなると、人生は、「目標(自分のものだったり、社会に対するものだったり、人生のものだったりしますね。)→内在する思いがある」・「その人の生きるルール」で語ることができるのではないか。そして、生き様といった時に該当する部分は多くはその人の生きるルールのように感じる。そこからその人がどのような思いを持っていたかを考えるとそこにドラマがあり、多くの感動を呼ぶことができると思うのだ。

良い人生とはその人としての人生を生きれたか

ここから良い人生とは、自分の人生を生きていくこと、そして自分の人生を生きる場合のルールを明確にし、それに準じて生きることと結論付けることができる。しかし、これはあくまでも一つの結論であり、実はもっと多くの良い人生というものを定義できる。なぜなら、最初にも書いたが、よい人生は結局の所他人が決めるものではなく、自分が良いと思えばそれで良い人生だからだ。

このように思えば、他人にどのように言われようが、自分の人生を歩むことが区ではなくなるような気がしないだろうか。個人的には、自分の人生を歩むことを始めるとそんなにストレスを貯めることもなく生きていけるような気がするが、気のせいだろうか。

あなたはどのように感じますか?ここまでお読みいただきありがとうございます。

良き理解者の必要性

人生には理解してくれる人が必要であると常々思っておりました。今回はそれをある映画から感じたので、書いてみたいと思います。

先日、「ボヘミアン・ラプソディ」がBlueray/DVDで出ましたね。うちにも妻が購入して来ました。4k版もありますがうちは再生する機材がないので、Bluerayぐらいでちょうど良い感じです。その映画は見た方も多いと思いますが、クィーンの。。。というかフレディのお話ですね。ライブ・エイドという1985年の募金活動の一環のライブまでのお話です。このお話の別の部分については、こちらに記載しましたので、興味があれば見ていただければと思います。ここでは、特に良き理解者の存在って大事だなぁと感じたのでどこを中心にしたいと思います。

この映画の中では、フレディーを支える女性としてメアリーという方が登場します。知っている人にとってはとても有名な方だと思います。彼女は、フレディのことを理解していたんだと映画を見て思いました。それは、異性に感じるものや夫婦に感じるもの以上の何かが合ったのではないかと思うのです。実は、このような支え合うような関係って自分たちにも存在すると思うのです。それが伴侶であったり、友人であったりはたまたビジネスパートナーであったりすると思うのです。

人生の中でこのように支援してくれる人の存在は大きく、様々な部分で良い方向に向かっていくようになっていると感じるのです。実は、自分も知らず知らずのうちに支援者になっていたりするかもしれません。

人の人生は複雑に絡み合い、人の思いがどこに向くのかということもわからないです。しかし、時として気になる存在や支えたくなる存在、支える必要を感じる存在がいることは確かです。それはなぜそう感じるのかはわかりませんが、そのようになっていると思うのです。その時に支援するかどうかは自分で選択することが可能であることも世の中面白くできているのです。

あなたは、誰に支援されていますか。また誰の支援者になっているでしょうか。今一度そのような観点で人間関係を見つめ直してみるのも良いかもしれません。

自分が何を知っているかを知ることが知識の始まり

このタイトルの言葉をどこかで聞いたことがあります。多分、どなたか哲学者の方が言った言葉でしょうか。調べてみたのですが出てきませんでした。このことについて個人的にいろいろ考察してきましたので、一度現時点の考えをこでまとめてみようと思います。

目次

  • 知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること
  • いつまで経っても知らないことはなくならない
  • まとめ

知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること

人間は、知らないことを知った状態になることに快感を覚える生き物だと思います。僕自身もそうですし、過去偉業をなしてきた人たちにもそうだったのではないでしょうか。つまり、知識の探求を行うことに喜びを覚えるのです。では、その最初は?

知らないということを自分自身認識することから知識の探求は始まると思うのです。なので、よく子供などがいろいろ聞いて知っていることを自慢したいのかは置いておいて「そのことは知っている」という言葉を聞くと知識の探求に蓋をしてしまっているなぁと感じるのです。僕は、自己責任主義を持っていますので、たとえ知識を得る機会を逃していたとしても何もいうことはありません。ただアドバイスとしてそこで思考が止まってしまうということはいうだけです。蓋をしてしまうとそれ以降中に入ってこないので、それまで他の観点で見た場合に新しい発見が合ったときにはそれを知ることができなくなるのです。

特に研究などを行っている人には先入観は禁物であることは知られているのではないでしょうか。刑事ドラマとかでも先入観は禁物であることはよく示唆していますよね

知らないと知ることによって、知ろうとする心が生まれて来ます。すると、不思議と今まで気づかなかったことに気づくことができるようになってくるのです。だから、知っていると思っている事柄でも一度白紙に戻してもう一度学び直すとそこからそれまでの知識以上のものが発掘できるかもしれません。そもそも、人間は日々成長する生き物ですから同じ本でも昨日読んだ時に得た知識と今日読んだ時に得た知識は同じとは限りません。

先日、見た映画でも同じように感じましたので、その時の記事を共有しておきます。コンタクトー宇宙にいる人との接触と人間の2極化ー

いつまで経っても知らないことはなくならない

知らないということをなくそうと努力しても知らないことはなくなりません。逆に言えば知識が増える分知らないことは増えていくように感じるかもしれません。それもそのはずで、物事には2面性があるからです。見える世界と見えない世界があって複雑に絡み合っています。見える世界のことを取り扱っているのは技術だったり、コミュニケーション方法などと言ったスキルと言われるもの。見えない世界のことを取り扱っているのは、スピリチュアル系の本だったり、宗教だったり。それぞれを一緒に考えることが少ないように感じておりますが、別々に物事を見ていくと不思議なことや知らないことが増えてくる感覚に陥っていくのです。

では、見える世界と見えない世界の両面から見ていけば知らないことがなくなるかと言えばそうではありません。知らないという事実を受け入れることが重要になってくるのです。そうすれば、物事の本質に近づけるようになります。ちなみにテーマが違うのであまり多くは語りませんが、見える世界と見えない世界は感情という要素を通してみると面白い世界が広がります。このことについては別の機会にお話できればと思います。

まとめ

ここまで見てきたとおり、知らないことは知識の始まりであり、死ぬまで知らないことがある。これは人間に与えられた喜びであり、死ぬまで成長を続けることが出来るということです。人生は楽しいことでいっぱいであるというのが僕がここから出した結論です。

あなたはどのように感じますか。