太陽は自分の写し鏡?~一つの話からほかの話が紐づく感覚~

今日は、太陽のお話の動画を見て思ったことを書いてみます。

実はこの動画タイトルにひかれてみました。太陽の真実ということで
最初に思ったことは太陽の表面温度が実は低いという話カナとか
思っていたんですが、違ったんです。
詳しくは以下のリンクから動画を見てみてください。10分ぐらいのお話です。

【世界が震えた太陽の真実】あなたは信じられない⁉もしも共感できたら広めて下さい

太陽は、光の存在の良い感情を受け取り増幅して地球に。
地球は、闇の存在の悪い感情を受け取り増幅して地表に。(地震など)

という単純な話。
動画ではもっと上手にお話しされてます。

僕はもっと良い感情、悪い感情の作用を平面的に受け止めていたように思えます。
特に言葉の作用に意識を向けていたので、よい言葉、悪い言葉があり、そのパワーの比率が
かなり違うというイメージを持っていました。
この動画では、感情のお話をされてましたね。
なんとなく、納得するようなしないような。

で、このお話を聞いて思い描いたのは日本にある3種の神器の八咫鏡。
なぜか太陽が写し鏡かと思ってしまってからそっちのイメージに流れた感じ。
そういえば、天照大神が天戸に隠れたって話があったなとか
そんなことを考えました。

でも、このように連想されたということは、もしかしたら日本神話も
この話に多少なりとも絡んでいるんじゃないかなんて思ってしまいました。

この動画を見て、愛とか良い感情を放てる人間になりたいなぁと思いました。

皆さんはいかがですか?

2軸で考えると見えてくるものがある

なんでもそうなんですけど、物事を分析するときに指標をいくつにするのか
ってことありますよね。

そんな時に2軸で考えるとなかなか面白い分析ができたりします。

スピリチュアルな世界を少しのぞいてみると波動を上げるとか
波動が高い人低い人などという言葉をよく聞きます。
僕はスピリチュアルには興味がありますが、どっぷりではないので
その程度にしか理解がありません。

ああ、高いとか低いとかあるんだぐらいに思ってましたし、上げる必要が
あるんだぁと思っていました。

そんな時に、とても面白い動画を見つけました。
僕も初めてきたんですが、波動が強い弱いという表現をしていたですよねぇ。
おお、そんな表現がある。と思ったんです。
その動画では、もちろん波動の高い人弱い人っていうくくりもあると言ってました。
わかりやすかったので、ぜひ見てもらえるといいかと思います。
その動画では、それ以外のことも語られていて人生の参考に
なるかもしれませんよ。

桑名さんと未来予言⚠️これからの世界の避けられない混乱とは?解決方法を波動チャンネルの桑名さんから聞く!

なんとなく、そういうことかぁと思った次第です。
そして、昔こんな本も読んだことを思い出しました。

複雑な問題が一瞬でシンプルになる 2軸思考

読書の秋ということで本も紹介しました。

あなたにとって良い人生を歩むことができますように。

言葉って面白い~表の意味と裏の意味~

秋になりましたね。最近朝や夜は過ごしやすくなってきたのではないでしょうか。
僕の住んでいるところも夜は寒いぐらいです。

最近は本当に言葉や文字などに興味が出てきてですね。
いろいろなことを考えています。
特に僕は都市伝説の部類に入る日ユ道祖論的なお話ってロマンがあって
好きなんですよね。

まあ、これに限った話ではないですよ。
古代の文明の話、特に日本の昔の時代。縄文時代にも興味があります。
争いがなかったとは言いませんが、縄文時代3000年は平和であったといわれています。
そんな平和な縄文時代に思いを馳せたりしますが、今日はそちらの話ではなく
言葉について考えてみたいと思います。

日本には、言霊という言葉がありますよね。
実は、これはキリスト教にも通じるところがあって、
聖書の中に言葉は神であったなんてことが書かれてたりします。
ちょっと誤解を招きそうなので、このあたりにしておきますが、
興味がある方は聖書を読んだり、近くの教会に行ってみてもいいのではないかと思います。

さて、ここで話題にするのは、日本語とヘブライ語がとても
似ている言語であるということです。
どうやら、言葉の意味も結構近いものがあったりするらしいんですよね。
なんだか不思議な感じがします。

日本の童謡やわらべ歌、国歌などもヘブライ語で解釈することが
できるらしいんですね。
日本語は同音異義語ってありますよね。あれに似て
日本語でこういう意味だけど、ヘブライ語ではこういう意味って
いうことらしいんですよね。
詳しくは、以下の動画見てみてもらうと楽しいかと思います。
不思議な感覚が味わえますよ。
「かごめかごめ」「君が代」ヘブライ語から読み解く、日本と失われた古代イスラエル民族との関係!【改訂版】

カバラの教えというのがイスラエルにはあるそうで。
聖書に書かれている表の意味の裏には、カバラ的に解釈すると出てくる
ことというものがあるみたいです。
そのため、カバラは書物などではなく口伝で伝えているとか。
なかなか世に出にくい情報ですよね。

世の中には知らないことが多いですが、意外に身近なところに
隠れているものがあるんだなぁと感じた次第です。

あなたはどのように感じますか。

占いや予言といったものについて

あなたは、占いや予言って信じますか。

きっと信じる人もいると思うし、信じない人もいると思います。
僕は、あまり意味をなさないような気がするので信じるとか
いったレベルのものではないと思っているんです。

そこで、今日はなぜそのように思うのかをお伝えしたいと思います。

お時間がありましたらお付き合いください。

1.この世の中に存在するもの
まず、考えたいのはこの世の中に存在するものについてです。
僕もあなたも肉体を持っていることは事実ですよね。
人間は、肉体のほかに霊というものも持っているんです。
肉体と霊があって人間と認識されるという感じでしょうか。

では、霊だけの存在ってどうでしょうか。
個人的には、霊の存在もあると思っているんです。

この霊だけの存在は普通の人は目に見えないし
感じることがしにくい存在だと思うのです。

2.なぜ、占いや予言をあまり意味がないといえるのか
ここから初めに僕が意味をなさない言った部分に入っていきます。
普通に生活していると普通の人たちには見ることも感じることも
ない存在の霊がいるとした場合、占いで占ってもらったことが
見えない存在の霊によって実現されたとしたらどうでしょうか?
例えば、予言については後付けだったり、かずうちゃパターンだったり
いろいろと策はあるといわれます。

つまり、そういうことです。
占いや予言をすべて否定するつもりはありませんが
目に見えない存在を無視しては語れないこともあるのです。
例えばその存在がどのような意図をもって行動しているかも
はかり知ることができないのです。

だから、あまり意味がないと思うのです。
占いをやってみてもいいのですが、それが
当たっても当たらなくても当然というスタンスが
大事じゃないかな。
このように書いている僕も結構占いを見るのは
エンターテイメントとしては楽しみます。
そこに主軸をおかないので。

3.大事なことは
大事なことは、自分はどうありたいのかということ。
そして、どんなことでも納得したうえで行動すること。
そうすると霊にとっても体にとっても良い効果が得られるのではないか
と僕はそう考えるんですよね。
そうすると悪い作用が起きにくい人生を歩めると思うんです。
納得済みだからマイナスな思いは湧いてきにくい。
逆に視野も広くなっていろいろなことを考えられるように
なると思うんですよね。
このように考えると占いや予言が入り込む余地ってあんまりないんですよ。

<参考>
自分との対話をしながら自分の人生を生きると起きることーその1

皆さんはどう思われますか?

ここまでお読みいただきありがとうございました。

人生を構築するための情報活用方法

僕は本が大好きでよく読みます。個人的にクリスチャンであることから聖書も読みますし、最近はビジネス書を読んだり学びのために本を読んだりします。しかし、誰もが知っている通り本だけでは学べることはかなり限られてきます。そして、今は本という形ではなくブログという形を通して様々な物語に触れる機会が多く有ります。

今日はそんなブログというかネットにて配信されていた心温まる話に目を触れたことから人生にどのように影響を与えるかそして情報が多い時代だからこそ情報の取捨選択は人生に大きな影響を与え、彩りを添えることになるんだということをお話したいと思います。

目次
前提
どのような情報を得て人生に彩りを添えるか
取り込んだ情報で人生を再構築する

前提

人には共通して与えられているものとして時間があります。時間は人によって流れ方が違いますが、その価値は多くの人が知っているとおり結構価値があります。その時間をどのように使うかということがまず大事になってきます。このブログの中でも置く書くことですが、目的、目標に沿って時間を何にどのように配分するかで目標に近づけることができるかというのは大きく変わります。
つまり、時間を何に使うかは人生においては重要なポイントとなります。
また、だからといって無駄に使った時間が全く意味をなさないかと言えばそうではないと僕は考えます。人生において無駄と思えることでも実はそこからの学びがあるため、無駄でも無意味ではないと思っています。
この記事でもそうですが、当ブログではこのような考え方に沿って物事を考察しています。

どのような情報を得て人生に彩りを添えるか

1.情報伝達の種類

情報が多く氾濫している今日のような時代ですが、どのように情報を得るべきでしょうか?一つは、紙の媒体を用いること。例えば本や新聞です。技術書などは紙で見たほうが良いときも有りますし、ワークブックのようなものも紙の方が書き込めるので、そちらのほうが良いですね。新聞なども世の中の起こっていることをざっと流し見る意味では良い媒体です。
このように発生から時間が経っても意味のある情報に関しては紙の媒体でもよいかと思っています。そして、この紙の媒体の良いところは、手などを使用して紙の感触を感じながら文字を読めることです。よく考えたらこれって贅沢ですよね。
対して、電子的な情報媒体も最近は流行っています。テレビ然りネット然り。これらの媒体は速さを売りにしている部分が有ります。確かに物事が置きてから発信されるまでの速さは群を抜いてます。今は携帯電話が普及したことにより誰でも情報が発信できる時代になりましたから、特にその傾向が強くなってきている気がします。

2.情報を得やすくなったことによる弊害

情報が氾濫し始めてだいぶときが経ってきました。前から言われていることですが、浅く広く情報が発信されている場合もあり、情報に信憑性などがないという問題が出ています。これは、最近も変わらず、特に携帯電話でいつでも発信できること、SNSなど個人の繋がりをネット上に構築したことなどが挙げられます。今はネットが出てきてこのような状況が一般大衆の目に付きやすくなったがために言われ始めましたが、実は昔から存在しました。よく映画などでも出てきますが、大きな組織が人をまとめるときの手法によく似た状態が全体的に広がったイメージです。
これは、人間が何らかのテストをされているような感覚に陥ります。今の状況を手に入れたら人間はどのように動くのかというようなテスト。〜まあ、考え過ぎかもしれませんね。〜

3.情報の取捨選択

さて、このように情報が氾濫している状況で情報を取捨選択する方法を模索していく必要が有ります。ではどうするかというとあなたが取っている立場によって方法は変わるでしょう。
人によってはスピリチュアルな考え方をするのであれば、直感を信じるとか神様を信じているのであればお祈りするとか情報の信憑性を調べるとか。この中でも直感はなかなかよいものかもしれません。(個人的にはお祈りもしますし、信憑性も調べます)直感はそれまで生きてきた自分の能力を試す良い機能です。その選択によって間違っていると思えば受け取らないようにする必要もあります。それも直感ですからね。このように情報の取捨選択によって人生が構築されていくのです。
そして、今日出会った記事がこちら。僕はとてもあたたかいものを受け取りましたよ。
「あんたは宝箱」認知症のおじいさんが妊婦に伝えた言葉に涙が止まらない

取り込んだ情報で人生を再構築する

さて、今まで情報の取得について書いてきましたが、取得した情報をどのように活用するか。まづ、取得した情報は鵜呑みにしないことが大事です。疑った目でそれを見る必要があります。そして、情報を活用するために必ず自分で確認する。それができなければ一つの可能性であるとしてとどめておく。
そして、取り込む価値があると判断した情報を使うには、生活の中で活用するのが1番。そして、それが確かめることにもつながるし、問題なければ人生が良くなり、問題があれば悪い方に向かいます。悪い方に向かっていると感じるのであれば、その情報を活用することを辞めることです。人生については、情報を活用して効果が出るのに時間がかかるものもあればかからないものもあります。そのため、先程お話した直感だったり、日々の祈りが大事になってくるのです。少しでも違和感を感じたら活用を辞める勇気が必要です。

あなたは、どのように感じますか。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

自分が何を知っているかを知ることが知識の始まり

このタイトルの言葉をどこかで聞いたことがあります。多分、どなたか哲学者の方が言った言葉でしょうか。調べてみたのですが出てきませんでした。このことについて個人的にいろいろ考察してきましたので、一度現時点の考えをこでまとめてみようと思います。

目次

  • 知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること
  • いつまで経っても知らないことはなくならない
  • まとめ

知識の始まりは自分が何も知らないということを知ること

人間は、知らないことを知った状態になることに快感を覚える生き物だと思います。僕自身もそうですし、過去偉業をなしてきた人たちにもそうだったのではないでしょうか。つまり、知識の探求を行うことに喜びを覚えるのです。では、その最初は?

知らないということを自分自身認識することから知識の探求は始まると思うのです。なので、よく子供などがいろいろ聞いて知っていることを自慢したいのかは置いておいて「そのことは知っている」という言葉を聞くと知識の探求に蓋をしてしまっているなぁと感じるのです。僕は、自己責任主義を持っていますので、たとえ知識を得る機会を逃していたとしても何もいうことはありません。ただアドバイスとしてそこで思考が止まってしまうということはいうだけです。蓋をしてしまうとそれ以降中に入ってこないので、それまで他の観点で見た場合に新しい発見が合ったときにはそれを知ることができなくなるのです。

特に研究などを行っている人には先入観は禁物であることは知られているのではないでしょうか。刑事ドラマとかでも先入観は禁物であることはよく示唆していますよね

知らないと知ることによって、知ろうとする心が生まれて来ます。すると、不思議と今まで気づかなかったことに気づくことができるようになってくるのです。だから、知っていると思っている事柄でも一度白紙に戻してもう一度学び直すとそこからそれまでの知識以上のものが発掘できるかもしれません。そもそも、人間は日々成長する生き物ですから同じ本でも昨日読んだ時に得た知識と今日読んだ時に得た知識は同じとは限りません。

先日、見た映画でも同じように感じましたので、その時の記事を共有しておきます。コンタクトー宇宙にいる人との接触と人間の2極化ー

いつまで経っても知らないことはなくならない

知らないということをなくそうと努力しても知らないことはなくなりません。逆に言えば知識が増える分知らないことは増えていくように感じるかもしれません。それもそのはずで、物事には2面性があるからです。見える世界と見えない世界があって複雑に絡み合っています。見える世界のことを取り扱っているのは技術だったり、コミュニケーション方法などと言ったスキルと言われるもの。見えない世界のことを取り扱っているのは、スピリチュアル系の本だったり、宗教だったり。それぞれを一緒に考えることが少ないように感じておりますが、別々に物事を見ていくと不思議なことや知らないことが増えてくる感覚に陥っていくのです。

では、見える世界と見えない世界の両面から見ていけば知らないことがなくなるかと言えばそうではありません。知らないという事実を受け入れることが重要になってくるのです。そうすれば、物事の本質に近づけるようになります。ちなみにテーマが違うのであまり多くは語りませんが、見える世界と見えない世界は感情という要素を通してみると面白い世界が広がります。このことについては別の機会にお話できればと思います。

まとめ

ここまで見てきたとおり、知らないことは知識の始まりであり、死ぬまで知らないことがある。これは人間に与えられた喜びであり、死ぬまで成長を続けることが出来るということです。人生は楽しいことでいっぱいであるというのが僕がここから出した結論です。

あなたはどのように感じますか。

僕の考えと同じことが書いてある本

僕はこの本を読んだわけではありません。実は最近になって後ろの方まで読んだのですが、似た内容のことが書いてあったので少しびっくりしました。なので、ここで紹介することにしました。

多分僕が影響を受けている人たちがこの本の流れに則った人たちが多いせいなのかもしれないと思っています。
こちらの本を読んでいただいたほうがきちんとまとまっている気がしています。
この本は以前も紹介していますので、あまり詳しくは紹介しません。

今回感じたところは19章と20章のあたり。全体的に素直に受け止めたら素晴らしい本ですので、一度手にとって読んでみても面白いと思います。

潜在意識をとことん使いこなす
潜在意識をとことん使いこなす

<前の投稿>
自分の意識を意識して生活する

2つの世界の関係性

先週は、この世の中には見えている世界と見えていない世界があるということを
お伝えしました。今週は、その2つの世界の関係性を見てみたいと思います。

<アジェンダ>
1.切っても切れない関係
2.お互いに影響しあう2つの世界
3.まとめ

<内容>

1.切っても切れない関係

2つの世界である物質の世界と精神の世界は切っても切れない関係です。小さなところから言えば、人間を見てみれば解ると思います。肉体を持っていながら内面には精神を持っています。これが最小の単位であると考えれば、この人間が構成するこの世界も2つの世界を構成すると考えられるのです。人間は肉体と精神を別にすることはできません。肉体から精神が離れれば、特別な場合(幽体離脱などでしょうか?)を除けば、死というものにいたり、この世の中では存在しないことになってしまいます。
そう考えれば、2つの世界は切っても切れない関係になるのです。肉体だけでは存在できませんが実は精神だけでは存在できるのではないかと個人的には考えています。これについては、別のところで話ができればと思います。
さて、2つの世界が切っても切れないものであることがなんとなくわかっていただけたでしょうか?ではこの2つの世界にはどのように関係しているのかを考えてみたいと思います。

2.お互いに影響しあう2つの世界

(1)人間という観点でみたとき

人間という個の状態で見た時、心と身体が密接に関係していることは容易に理解できるのではないでしょうか?体が疲れてくるとなんだか気分が乗らなかったり、ストレスが心にかかると体調が悪くなったりしますよね。これってかなり影響をお互いに与えていると思えます。逆に心が沈んでいる時にわざとでもいいので笑ってみるとなんだか心が楽になってきたり。
なんだかとても不思議です。つまり、このように物質と精神、体と心、外面と内面は密接に関係してお互いに影響をしあっていると考えられると思うのです。

(2)社会という観点で見たとき

では、もう少し広げて社会という観点で見た場合はどうでしょうか?大きくなりすぎてわかりにくいでしょうか?実はこれも関係しているのです。個人がそれぞれ2つの世界を持っていますから、物質と物質、精神と物質、精神と精神という感じでこのそれぞれの世界と関係がしあっています。例えば経済。様々な思惑があり、それが物質として現れて交換されてそれぞれの場所に移ります。これは物質でも精神でも同じです。思いが伝わり、その思いがいろいろと伝播していく。それを物質を通して実現していく。
このようにいろいろと影響をしあっているのです。

3.まとめ

実は2つの世界を個人の中でも社会の中でも理解をすれば、世の中の出来事や個人的な問題点などについてもより理解しすいのではないかと思いませんか?僕は、いろいろな学びをし、上記のように簡単ではありますが、2つの世界を考えているうちにそのように考えるようになってきました。
あなたにも少しだけそのことが伝わればよいなと思った次第です。次回はこれを受けてもう少し精神の世界について掘り下げて考えてみたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

感情という名の貨幣

僕は、少し記憶が置き換わってしまったのかもしれません。タイトルのあるように、感情というものを貨幣に置き換えたらどうなるのかという考えを持っています。

その基となったと思われる書籍を読み返してみたら、感情ではなく前向きな考えと否定的な考えという考えとか思考のことを貨幣に置き換えて説明してくれているものでした。それはそれで僕は好きな考えですし、そちらもあるのかなぁと思います。ただ、これをいうと単純なポジティブな思考が成功を生み出すという方向に話が向いてしまいそうです。個人的にポジティブな思考はいいこともある反面悪いところもあると思っています。なぜなら、心の状態から考えた場合に、マイナスに働かなければポジティブ思考も良いと思っているのです。この話は、長くなりそうなので、別の機会に話すことにします。

話を戻して、感情の貨幣化というものは、僕が思い違いをしていたものですが、なんとなくそうだろうなぁと思う考え方です。きちんと読んだことはないのですが、もしかしたら7つの習慣にそんな内容のものがあったかもしれません。

感情には、今までもお話してきたように良い感情と悪い感情というものがあります。それは自分と他人との関係から生まれるものもありますし、自分の閉じた思考の中で生じるものもあります。その感情を貨幣と考えるとあなたの銀行口座にはどれだけの感情が残っているのかと考えることができるのではないかと思うのです。良い感情を生み出した分だけ、感情口座には多くの残高が残っていることになります。これは、心の豊かさを表すもので、幸せなお金持ちになるには大切なことですし、物理的にお金がなくても幸せであるということが言える証拠なのだと思っています。

つまり、昔の日本では精神的に大人であり、世の中がどのようなものかが感覚的にわかっている人が多かったため、おもてなしとか分け合うとかそのようなことができていたと個人的には考えているのです。

対して今はどちらかというと精神的には成熟しているわけではなく未熟なものになってきているのではないかと危惧しています。世の中に起こってくる様々な事件や問題を見ているとすべてがそれで片付けられるわけではないですが、そのような気がしてくるのです。

そこで、僕は自分の中だけでもそうですし、他人との関係もそうですが、良い感情を生み出せるように生活を心がけてみたらどうかと提案してみたいのです。そして、自分の感情口座の残高を増やしていき、人生を豊かにしてみてはどうかと思うのです。

 

あなたは、どのように感じますか?

 

感情の根底にあるもの

昨日、シンプルと複雑の関係について話しました。今日はそれに基づいて感情というものを考察してみたいと思います。

感情はいろいろありますが、それが根底には2つの感情しかないと言ったら、びっくりするでしょうか?実は、僕は「感謝」と「恐れ」の2つが根底にあるのではないかと考えています。自分の場合について考えてみたのですが、怒りはどこからくるんだろうとずっと思っていました。僕は、結構怒りに振り回されるタイプでそのためなるべく怒りを表に出さないようにしているのですが、どうしても親しい人特に家族には出てしまうんですよね。で、その時にはわれを忘れてしまっていますから、後で内省して謝ることが多いのですが、ある時、自分の怒りを数学の因数分解のように紐解いてみたのです。状況を把握して、ゆうことを聞かなかったからだとか、なぜいうことを聞かないといかるのかとかずっと自問自答を繰り返し、打とり憑いたのは、恐れだったんです。多かれ少なかれ怒りとか不安、不満は、恐れから来ているような気がします。

対して、嬉しいとか楽しいとかは感謝が元にあるような気がします。実は悲しみの中にも感謝があるんじゃないかなぁと思っていました。

そして、そこから様々な感情が起きてきて、行動になり未来につながっていくのです。だから感情に流されてしまっては、せっかくの人生が自分の思うように行かなくなる可能性が高くなるというのが僕の考えなのです。

決して怒りとかが悪いわけではなくうまく付き合っていく必要があるということです。最近は心の重要性を感じているので、マインドフルネスや瞑想などの本も読んだりしているのですが、その中に自分の怒りと向き合うということが書かれていました。とっても有意義な時間が過ごせそうな気がしました。最近はあまり怒りらしい怒りを感じないので、怒りと向き合うということもあまりなくなりましたが、怒りのみならず、自分の感情と向き合う時間を取るということはすごく大事だなと感じさせられています。

あなたはどのように感じますか?