あなたは自分が発した言葉にどのような影響が出るかを考えたことがあるでしょうか?実はそこには自己責任という隠れた責任が存在していることを知っている人はいるでしょうか?それとも当たり前すぎて考えたこともないでしょうか?今日は、言葉の持つ自己責任性について考えてみたいと思います。
- 言葉というもの
- 自分と他人との関係性
- 言葉の持つ自己責任性
言葉というもの
言葉の歴史は古いですね。意思疎通を図るものとして発展してきたと考えられていると思います。人間としては生まれたときから備えられた能力の一つと考えられます。ただ、別の考えをすれば、言葉を発することを覚えると同時に何かを手放している可能性はあります。ここでは話の関係上触れませんが、人間の能力は計り知れないものと考えられます。このように古くからある言葉というものは、人間にとってとても身近に存在します。それこそ意識しなくれもそばにあるものと考えます。それ故に言葉の力を意識できない人もいると思うのです。しかし、言葉の力というものはかなり大きなものであり、自分に対しても他人に対しても影響を与えるものです。これを踏まえて他人との関係性について考えてみたいと思います。
自分と他人との関係
自分と他人との関係において重要になることの一つが言葉ではないでしょうか?コミュニケーションを図る上でも言葉というものは結構重要な部分を占めていると感じます。そしてこの言葉を使ったコミュニケーションは時にいろいろなところに影響を与え自分に帰ってくることがあるのです。それがすぐ帰ってくることもあれば時間を開けてから自分に返ってくることがあるので、それが何故に起こっているのかがわからないこともあるのです。これが言葉が影響を与えるという理由です。しかもその言葉がいいか悪いかと言うのではなくどのように他人に受け取られたかで返ってくる方法などが変わってくるから更に複雑になりわからなくなるのです。これって携帯電話の契約に似ていると思ったのは僕だけでしょうか。
このように考えると自分の発した言葉によって自分の回りの状況が作られてくるんだということが少し見えてくるのではないでしょうか?自分に起こったことに対して不平や不満などを感じているときにはこのことを頭に置いたほうがよいと思います。そして自分の中に沸き起こった感情と向き合い、どのような行動・発言をするかを熟考するのが懸命です。その後の状況が大きく変わってくるからです。あなたはどのような人生を贈りたいですか。自分がよいと思える人生に向かいたいのであれば、余計に発する言葉には語気なども含めて気をつけたほうがよいです。
言葉の持つ自己責任性
ここまで見てきたように言葉には力があります。だからこそ発する言葉を熟考する必要があるのです。自分の周りで起こっていることはもしかしたら自分が発した言葉や行動などが原因かもしれないと思えば、自分が発した言葉というものにそれなりの責任があるといえるのではないでしょうか。
そんなことを考え始めると喋ることが怖くなる人もいるでしょうが、そこは心配しなくてもよいのです。世の中で起こっている出来事はそれを受け取る人が成長するためのものと考えると自分が発した言葉をその人がどのように受け止めるかはその人次第でそこはその受け取った人の責任と言えるのです。
気をつけたいのは、自分が発した言葉で自分に何かしてもらったときです。このときは自分が発した言葉がその人にそのように受け止められたのだと受け止めなえればいけません。そして、自分の中できちんと一連の流れを受け止め今後の人生に活かすようにしなければせっかく成長のために発生した出来事でも無駄にしてしまう可能性があるのです。
成長するべきところで成長できなければその後に別の形で問題として現れ、製法の機会が与えられることは別の記事に書いたとおりです。このことから自分が発する言葉には自己責任性があると言えるのです。
まとめると、言葉を発することを臆してはいけません。積極的に良い人生に向かうことができるように言葉を選ぶことをしたほうがよいということです。と同時に受け取りの仕方も学ぶ必要があります。遠慮は不要です。積極的に受け取るべきです。
あなたは、どのように感じますか。
ここまでお読みいただきありがとうございます。