自己責任に繋がる思い

自己責任について2回ほど記事を書きました。

自己責任の使い方について

自己責任という言葉を使うとき

今回は、更に自分の思いが自己責任と繋がるということを考えてみたいと思います。

1.前提について

思いというのは、人生においてどういう作用をするのかということをまず考えてみたいと思います。これは、実は前にも書きましたが、「原因と結果の法則」の中にも書かれていますが、よい思いは、良い結果を生み出し、悪い思いというのは悪い結果を生み出すということが書かれています。図式としては以下のような感じになるのではないでしょうか。

思い→原因→行動→結果

ここで、「原因と結果の法則」の中では、原因と結果にピックアップして書かれていますが、ここでは思い→行動という点に焦点を当ててみたいと思います。行動から様々な影響がいろいろなところに波及し、結果として現れてくるとだけここでは理解してください。

2.行動に繋がる思い

思いには、2種類あります。それは先程も書きましたが、良い思いと悪い思いです。何を基準に良い悪いと判断するかはなかなか難しいところではあります。なぜなら、基準はその人の生きてきた背景で作られるからです。そこでここでは、「原因と結果の法則」を基準として考えてみると、なんとなく答えが見えてくるような気がします。良い思い、悪い思いそれぞれ6個ずつをあげていますが、ここでその12個を書いてみます。

<良い思い>

  • 気高い思い
  • 清らかな思い
  • 勇気と信念に満ちた思い
  • 活気にあふれた思い
  • 好意的で寛容な思い
  • 愛に満ちた思い

<悪い思い>

  • 動物的な思い
  • あらゆる種類の汚れた思い
  • 恐怖や疑いに満ちた思い
  • 怠け心
  • 敵意に満ちた意地悪な思い
  • あらゆる利己的な思い

いかがですか?やっぱりちょっとわかりにくいですか。なんとなく抽象的ですよね。でもこれが結構的を得ているような気がします。では、もっと根本に迫ってみたいと思います。

3.悪い思いから出る行動

悪い思いのほうが少し理解しやすいと思いますので、まず、悪い思いの原点から探ってみましょう。あなたは、何が悪い思いの原点だと思いますか?上記悪い思いのリストを見てみて、なぜそのような思いを持ってしまうのか。それは、将来にある恐怖から来るのではないでしょうか?将来ちゃんと生活出来ているのかとかお金が稼げなくなってしまったらどうしようとか今の生活が送れなくなってしまったらとかそんな不安や恐怖があるとどうしても悪い思いにつながっていくと思うんです。このような恐怖や不安には余裕があまり感じられませんね。その思いから出る行動はどうしてもそれに切羽詰まったものになり、悪い思いに則ったものになります。

上記リストにある思いから出る行動は、どうしても悪い方に向かうような行動になっていってしまいます。そこには、良い思いから出る行動とは正反対のものになりますから同じ行動をしても結果は違います。一時は同じでも最終的には分かれていくのです。

この悪い思いの行動には自己責任という認識はありません。ですから結果を見てなぜ自分がこんなことにならなければいけないんだという気持ちが湧き出るのです。

4.良い思いから出る行動

それに対して良い思いの原点はなんでしょうか?僕は寛容ではないかと思うのです。寛容な思いはまず赦しがあり、感謝があり、なんとなく余裕があるような気がしませんか。そこから出てくる思いからは良い行動につながっていくと思うのです。

良い思いから出た行動には自己責任という認識のもとにあるように感じます。その行動によって起こったことについては他人を責めることが無いような気がするのは僕だけでしょうか?

5.行動から結果へ

今見てきた行動はすべてその行動に沿った結果が出てきます。よい思い、よい行動にはそれに即した良い結果が、悪い思い、悪い行動には悪い結果が出てくるのです。ここでいう結果とは最終的なものです。最終的というものがどの時点ということは言えませんし、直接的でなくてわかりにくいものかもしれません。何がどうつながっているのかを理解することは人間にはなかなか困難なものだからです。

だから、もし状況が悪いとかなんだか腑に落ちないとかなんだか悪い状況が周りに近づいてきたら立ち止まって本当の原因はどこかを考えてみるのがいいかと思います。

あなたは、どう感じますか?

 

 

 

今日僕の人生に入ってきた本ーみんなが味方になるすごい秘密ー

いろいろなところで書いているのでここでも書いたかどうか忘れてしまいましたが、僕は電子書籍を読むようになりました。ひとつの理由は、電子書籍だとセールをしている時があって、安く手に入ることがあります。結構掘り出し物あるんですよ。大体そういう時に買うんですが、今日もそんなセールをしていた本の中から一つとても印象深い本を購入したので、紹介したいと思います。

この記事では、まず本に対する僕の考えを書いてから実際にどんな本と出会ったかというお話をします。

1.本に対する考え方

本との出会いは人との出会いに似ています。その時々で必要な本がやってくるんですね。本屋に行ってもその時の自分に合った本が目に飛び込んでくるなんてこともザラですし、購入したい本を買いにいって別の本を買ってくるということもありますが、それなんて本が僕に語りかけていると思うんです。そして、その時を逃すとなかなか手に入らないなんてこともありますよね。

そう考えるようになってからはできるだけその時の感性で本を購入するようにしています。それは、電子書籍を読むようになってからも同じです。電子書籍ならいつでも購入できそうですが、ほしい本リストに入れたらそれで満足ではないですが、時が過ぎていって結局購入まで至らないというのはよくある話。結局その本とは縁がなかったということになりそうな感じです。

そう考えると本屋に行くのが楽しくてしょうがないですし、電子書籍のサイトを見るのもとてもおもしろいです。そんな本に対する思いを持ちながら生活していますが、何気なくタイトルで買った本で目次を見たらとてもおもしろいし、今まで読んできた中でも個人的に好きな内容の本と似ているような本と今日は出会ってしまったので、ここに紹介します。

2.「みんなが味方になるすごい秘密」

これがセールで売ってたんですね。まあ、どれだけのセールかは言いませんが、購入しました。なんだかタイトルだけ見たらちょっと行動の指針を書いてある本かと思ったんですが、目次を見てちょっとあたりかもと思ってしまいました。

そうそう、セール中の本の僕の購入ルールですが、基本的には内容を見ません。タイトルと本の紹介ぐらいで購入するかどうするか決めます。なので、当たり外れがあるのはご愛嬌と思っています。まあ、セールですからお得ですし、こんな時じゃないと買わないかと思うような本も購入対象になります。ちょっとした闇鍋気分。ルーレット気分。ドキドキ感。なんか楽しいくなってくるんですよね。この購入方法。買った時はイマイチでもきっと後で肥やしになりますからね。

さて、そんな感じで今回の本も購入して前述のような感じでワクワクドキドキしてしまう内容ぽいなと思った次第です。

実はまだ内容読んでいないんですけど、このワクワクドキドキとあたった感をお伝えしたくてつい書いてしまいました。

あなたもぜひこの本手にとって読んでみてください。あなたなりの感じ方があると思います。僕はこれからここに書かれている内容を咀嚼しながら読書を楽しむことにします。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

 

自己責任という生き方

先日、自己責任という言葉は使うべきではないなぁという記事を書きました。

参考:自己責任ということは何を意味するのか

よくよく考えてみてこれは他人に使う場合のことではないかと思うようになりました。

では、他人に対して使うのはあまりにも愛がないとは言え、自分に対して使う場合にはどうなのだろうかということを考えてみてみたいと思います。

 

1.自己責任という生き方

自己責任という生き方をしてみようと考えてみた時に、言葉の通り自分の行動に責任を持つということです。つまりはその行動によって起こった事象は自分が管理しているということです。いいことも悪いことも自分がすべて受け止めるということ。

では、もっと深く考えてみて、自己責任を持つにはどうするべきなのかといえば、目標を持つこと、ビジョンを持つこと、将来に希望を持つことではないかと思うのです。

いくら自己責任だからといって自分が他人に悪影響を与えてよいかといえばそうではないと僕は考えます。せっかくならみんなが幸せな世の中にしたい。であれば、その世の中を幸せにしたいという目標、ビジョン、希望を実現するためにはどう行動していくのかを決めていく。いつもの自分の行動規範にまで落とし込んで自分が自然に振る舞えるように心に刻みこむ。それが自己責任という生き方をすることに繋がるのではないかと思うのです。

ここで書いたことはあくまでも例ですので、あなたが目指したい目標などがあればそれに向かって生きていければいいのではないかと思います。

2.人生に目標を持つことの重要性

これは実は人生をより良く生きることに繋がることは読んでいただければ解ると思います。ただ、これだけではなかなか自己責任ということを体現できるかといえばそうではないと個人的に感じているのです。こう書いている僕もまだまだ全然です。入り口に立っているのかどうかも怪しいです。なぜなら、ここまで出来るようになるには精神的な成長、成熟した精神性というものが必要になってくるだろうと思えるからです。

しかし、できないというわけではありません。それに向かって、目指して訓練していけばそこの道にたどり着けるように成っているのです。動きさえすれば目指しさえすれば。ここで人間の悲しい性ですが、その時の自分の精神性がそれを受け取れるかどうかによって受け取ろうとするのか取りこぼしてしまうのかは決まります。チャンスは何度もあるので落胆することはありません。ただその時ではなかったというだけのこと。

そこで、人生に目標を持つということはどのような意味においてもとても重要であると思うのです。

それがあって、自己責任において行動していくことができるようになり、人生が形作られていくのです。もし、つらいことや悲しいことがあったとしてもそこから何か学び取り他の人に良い影響を与えていければそれは人生の肥やしになり、醍醐味となり生きる楽しみとなるのです。

 

あなたも自分自身で自己責任という生き方をしてみるのもよいかもしれません。

 

自己責任ということは何を意味するのか

少し前によくテレビでも「自己責任」という言葉が流れていましたね。実はこの言葉あまり使うべきではないんじゃないかと最近思うようになりました。なぜかといえば、この言葉で大体のことが片付いてしまうような気がしてしまったのです。そして、結構冷たい感じがするというか深く考えると何もできなくなるようなそんな危険性をはらんでいるような…

そこで、この記事を書こうかずっと悩んでいましたが、思ってしまったことですし、書いてしまおうと決意して今日に至ったわけです。なので、これを読んでもひとつの考えであると思って読んでみてもらえれば幸いだと思います。

それでは、自己責任ということがどういうことなのか、どうして使うべきではないのかを書いていってみたいと思います。

 

1.この記事の前提とする背景

ジェームズ・アレンさんの「原因と結果の法則」に多分の影響を受けています。そのため、原因→結果というつながりを意識しているため、行動も発する言葉も思いもそれが原因であれば、自ずとその後の事象に繋がるということを念頭に置いています。これには、自分のみならず自分と関わりのある他人も更にはその背景、成長の過程なども含めて考えて書いていますので、ご理解の程よろしくお願いいたします。

2.「自己責任」の意味

(1)一般的に言えること

自己責任の意味を調べてみました。興味があればご自身でも調べてみてください。僕が調べた限りでは、「自分の行動による影響は自分で責任を取るということ。その内容には他人は一切関わりを持たない」ということです。

(2)個人的に考えること

僕は行動だけではなく、言葉も思いもそこに含まれると思っています。そして、それに影響されるもの、例えば話をする相手とか世話をしているペットとかそのようなものにどのように接するかということも更にどのように今まで生きてきたかということも考えたうえでの行動が言葉が思いが必要であってそれに責任を持つべきなのではないかと考えるようになったのです。

これには、前述の背景のみならず自己啓発書などにも書かれていると思いますが、「変えることができるのは自分のみである。他人を変えることは難しく、不可能に近い。」という考えに基づいているものです。これは、実は自己責任に繋がる考えだと思っています。他人の行動は自分が責任を負うべきではないし、負えるものではないということを暗に示唆しているのではないでしょうか。

自分が行動を起こす、言葉を発するなど相手に影響を与える行動をしたあとに、それを受け取った相手がどのような行動を起こすのかということをある程度は予想をすべきではないのかなと思うのです。だから行動をした後にどのようになるのかはその行動を起こした人の責任となるような気がするのです。

もし、人と人が話をしている場合にはこれが交互に行われます。

・Aさんが言葉を発する → Bさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

・Bさんが言葉を受け取る → Bさんの中で噛み砕き

・Bさんが言葉を発する。 → Aさんがどう受け取りどう行動するかはある程度予想

これの繰り返しです。

つまり、このように考えると自己責任とは今に始まったことではなくずっとむかしから自分たちの中で意識しなくても普通にやれていたことであるとおもうのですが、最近はこの流れにうまく乗れない人たちも出てきたような気がします。もしかしたら僕もそうかもしれません。これは誰が悪いというのでもなく、劣ったとかそういうのでもなく、時代がそうなるようになってしまっているというのが僕の考えです。

ですから、今の時代を生きるときには昔は考えなくても良かったことを少しだけ考えるだけでずっと暮らしやすくなるような気がします。

 

3.「自己責任」のどこに引っかかりを覚えるか

これは、もうすでに述べているのですが、自己責任ということは考えれば考えるほど範囲が広くかなりのことをこの言葉で片付けることができるような気がするのです。これが僕がひっかかっていることです。しかし、これによって片付けていいこと悪いことってあると思うんです。だからこそ、極力使わないほうがいいんではないかと思うのです。

昔は考えなくても良かった自己責任がなぜ今考えなければいけなくなってきたかということに触れてこの記事を締めたいと思います。

<自己責任を考えなければいけない理由>

(1)時代背景

昔:大家族、村(組織の中で育つ)、一致団結

今:核家族、個(組織という認識が薄い)、個人プレー

(2)ルールというものに対する認識

昔は、時代背景にも書きましたが、大家族で村で育ちます。子育ても村全体でするようなイメージで、お隣さんからも叱られて当たり前です。すると、地域のルールによって生活する癖がつきますし、反省の仕方も学ぶことができます。これが学校でも家庭でもそれこそ村を歩いている時ですらそうだったかもしれません。つまり、共通のルールが染み込みますので、他の人に注意をされても反省し、自分で行動を正すことができますので、自己責任を意識せずともうまく立ちまわることができるようになります。

今は、核家族で鍵っ子も多いかもしれません。子育てといえば家庭の中で行います。地域との関わりもそんなに濃くはないのではないでしょうか。このようなことから考えると共通ルールというものを持ちにくい状況になります。他人に注意され慣れていないことのゆえに自分の感情に惑わされるのではないでしょうか。こうなってくると他人に注意すること自体が危険なことのように感じます。そこに自己責任を意識しなければいけない理由が出てくるのです。

これは、ビジネスにおいても同じことで知らない分野や知らない顧客にアタックしていくのが危険なことです。始めるのであれば、相手を知るところからはじめなければいけません。知らない人にどんな言葉でどんな態度で接すればいいかということを考えるべきだよなぁと思うのです。

あなたは、どのように感じますか?