感情のコントロールの話をしましたが、今日はその中でも個人的に厄介だと思っている怒りについて取り上げたいと思います。
特に怒りはあまり良くないと思われていると思いますし、僕も良くないと思っています。しかし、もしかしたらうまく使ったら良い方向に向かうことができるのではないかと思いたちいろいろと考えてみました。
1.怒りがなぜいけないと言われているのか
怒りには、その対象によって何パターンかあると思います。ここでは、自己への怒りと他者への怒りという2つのパターンを見てみたいと思います。
他者への怒りはあまり良い結果を生まないような気がしているのです。なぜならば、他者に対して怒るということを考えると、自分のコントロールできないところに対して感情を特に負の感情を持っているということですね。すると、自分でコントロールできないのにコントロールしようとするわけです。すると他者との違いというものがあるため、そのところで大小ありますが、軋轢が生じるのです。
大きくなれば喧嘩したりそこから怪我に発展してしまったりという具合に良くない方向に進む可能性が高くなるのです。お互いに怪我したり良くない思いを持つことはやっぱり良くないですよね。となると、怒りは良くないという結論に至るわけです。これが、良くないと言われる所以だと解釈しています。
2.怒りによいパターンはないのか?
では、良いパターンとはどのようなものかを考えてみましょう。それは、自己への怒りというものでないかと思うのです。これについては自分ですので、コントロールすることが可能なわけです。こんなこともできないのかとかこの人にこんなことを言ってしまった。はたまたしてしまった。などなど。また、言われたことできなかったから怒られた。なぜ出来なかったのか。言ったような反省に近い怒り。それが実はよい結果を生むのではないかと思うのです。そこには、改善に向けた意識を持つことが可能です。日々努力もします。他者への怒りに比べたら、随分負の要素もありません。怪我もありません。喧嘩もありません。自分での自分の行動を変えようとするわけですから成長に繋がると思うのです。するとできることが多くなってくる。
どうですか?良いことばかりな気がしませんか?少し行き過ぎると自分が辛くなると思うので、適度な感じがいいと思うのですが、これが、怒りにも良い面があるのではないかと思うところなのです。
3.まとめ
怒りは本当は精神的にも肉体的にもあまりよいものではありません。一説によると怒りによって免疫が落ちて、戻ってくるまでに何時間かかかるとか。
これって、自分にとってはメリットでも何でもないです。しかし、これをうまく使って成長することができれば、どうでしょうか?できることが多くなってきたらどうですか?つまり、一般的に良くないと言われているものでも見方を変えたり考え方を変えれば、もしくはうまく付き合えば良い方向に向かっていくことができると思うのです。
もし、良くないことにとらわれてしまっている場合には、難しいんですけれども、別の観点で物事を見てみるのもいいのではないかと思います。
では、今日はこのあたりで。